よこと病気と○○と

1人の人間として、ありのままをツラツラと。お布団と社会の間から

私と病気と退学届

 

終わらせるなんて

簡単な事だと、思っていた

 

 

必要な書類はもう揃っていたし

背中を押してくれる人たちもたくさんいた

 

次に進む道(転学先)も決まっているし

やりたいことだってはっきりしている

 

なのに私は今

退学届を握りしめたまま駅のホームで動けない

 

家を出る時

母が背中を撫でてくれた

 

「あんたがどれだけ苦しい決断をしようとしてるのか、わかってるつもりだから。

だからいつでも、帰っておいで」

 

うん、と言葉に出さずに頷いた

 

家を飛び出し自転車をぐんと漕いだ

 

ああ、言葉に出さなくてよかった

 

息をしようと口を開いただけで

涙が吹き出した

 

向かい風に涙は一瞬だけ頬を伝っては

すぐに宙へと舞った

私はそれを追い越していく

 

頬を撫でる風はもう暖かい

私の思いとは関係なく

春が、せまる

 

 

願書を出すには、卒業しなきゃいけない

ふたついっぺんには、手に持てない

 

 

1人ぽっちの、卒業式

 

思い出は散り散りのかけらみたいに散らばって

アルバムになんかまとまりはしない

 

涙を流したって

笑い飛ばしてくれる仲間もいない

 

おめでとうと行ってくれる先生も

卒業証書もありはしない

 

あるのは父の一筆と印のみがある

薄い紙切れ一枚だ

 

誰も祝ってなんてくれない

むしろあるのは「退学者」の称号だけ

 

嬉しさのかけらなんてみじんもない

私以外の誰かが望んだ、卒業式

 

 

どんなにあがけど

どんなに笑い飛ばしても

どんなに幸せでも

結局「普通」になんて、敵いやしない

 

 

何が悲しいと言われても、わからない

 

進む自信はあったんだ

ただそこに長い年月が横たわっていて

私を先に進ませてくれない

 

手に入れる決断は容易くても

手離す決断はこんなにも

心がいたい

 

 

春なんて

来なければいい

来なければいい

来なければいい

 

ずっと冬のままでいい

冷たく透明な、雪のままでいい

 

 

 

「よこさんの周りは、笑顔で溢れてますか」

 

優しい彼の言葉に私は頷けない

 

私は身近な大切な人にさえ

困ったような悲しい顔をさせる

弱い弱い人間です

 

 

間違えちゃいけないんだ

 

これは進む事に対する、不安ではない

 

手離す事に対する、悲しみだ

 

 

それほど私にとってこの三年は

大切だった

 

大切だったんだ

 

ああ、私は

こんなにも悲しめる人間だったのか

 

三年

 

私が普通を謳歌していた

素晴らしい日常

 

もう2度と戻らない

儚い日々

 

 

私は私から

それら全てを手放します

 

 

私はここにいるわけにはいかないから

先に行くね

 

 

休学ではない

退学という道を

 

さようなら

もう会わないよ

さようなら

 

 

大丈夫

きっといつか笑って過ごせる

大丈夫

 

大丈夫

きっと大丈夫

 

信じよう

信じるしかないんだから

見えない光は、夜には必ず見えるから

 

 

人は決断しながら生きている

それは幸福な決断もあれば

悲しい決断もある

 

手離す決断

失う決断

諦める決断

辞める決断

旅立つ決断

 

それらははたから見たら

停滞で、後退かもしれない

 

それでも悲しい決断は

幸福な決断よりよっぽど覚悟がいる

 

見えない光を信じる覚悟

周りからの視線を受ける覚悟

もう戻れない覚悟

 

そしてその覚悟を決める人々は

きっと何より尊く、逞しく、強く

まっすぐに、優しい

 

 

 

退学なんて、したくない

 

ずっとここにいたい

 

決断なんてしたくない

 

いつまでも、曖昧でいたい

 

 

でも私は

 

私は

 

進まなければ、いけない

 

 

やりたいことがある

見返したい人がいる

守りたい世界がある

 

だから

 

行ってきますと、さようならを

告げる覚悟を

私は、持たなければいけない

 

明日はこの紙切れを

ちゃんと出せますように

 

 

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photo by ryoma

 

 

 

 

私と病気とばあちゃん

 

 

私がまだ中学生だった頃

私はおばあちゃんに大量の写真を送りつけたことがあった。

 

それは中学の修学旅行で

私はデジカメ(ただの一般家庭機)片手に

いろんなものを撮った

 

友達の写真でもないその写真のほとんどは、

しょうもないものばかりだった。

 

てんとう虫、シロツメクサ、雲

 

そんなものばかりを詰め合わせた写真を

大量に送った。

 

今思えばなぜあんなことをしたのかわからないただ写真を撮るとかがとにかく楽しくて

その楽しさを誰かと共有したかったのだと思う

 

そんなしょうもない紙切れの詰め合わせを受け取ったおばあちゃんは私に言った

 

「あんたがこういうことに目を向けられる子で何かを感じられる子でえかった」

 

小さな私には、その言葉は十分なほど

私の背中を押した

 

 

それから高校生の時

体を壊しながら受験に挑んだ時

私は辛くて岡山に帰った

 

帰り道、サヨナラの駅のホームで

おばあちゃんは私に言った

 

「小せえ体でよお頑張っとるなあ」

 

頑張ることが当たり前の世界で

褒められることなんて全然なくて

不意に向けられたその言葉に

私は涙が止まらなくなった

 

 

そして今回の帰省で

おばあちゃんは私に幾度と言った

「車に乗れんけえなあ」

 

 

うるさい

 

そう思った

 

 

言葉にはしなかったけれど

私の心は確実に痛みを帯びた

 

それでも、わかっていた。

 

それは嫌味や差別の言葉ではなかったこと

ただただ「寂しい」の裏返しであったこと

 

一緒に遊びにいけなくて寂しい

どこにも連れて言ってあげれなくて悲しい

 

全部全部、私を思って溢れた言葉だったこと

 

 

じいちゃんは、認知症が進んでいた

それでも私の名前を覚えていてくれた。

 

来たことも帰ったことも忘れちゃうから

私が帰った後も

じいちゃんは今頃ずっと言ってるはずだ

「瞳はもう、帰ったんけえ?」

 

それで私のために何度も悲しくなって

何度も涙を流すんだ

 

毎日のことを忘れないように

書き留められてるじいちゃんの日記には

私が来た日に

「今日から瞳もおるよ」と書かれていて

なぜか訳もなく泣きそうになった。

 

 

さよならの時

振り向かないと決めていたのに

振り返ってしまった

 

やはりそこにはまだ

小さくなったばあちゃんがいた

 

 

なあばあちゃん

私、何もうまくできないんよ

 

みんなみたいに生きれんし

電車さえ上手く乗れんのや

 

それでも

何度だって、会いにいくけえな

頑張ってら会いに行くけえな

 

だからどうか元気でおってよ

 

 

私の後ろ髪を引く全てのものたちよ

 

どうか彼女たちを、お守りください

 

 

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私と病気と変わった田舎

 

帰れば、眠れると思っていた。

 

 

朝7時、隣で起き上がる音がする

私はそこではじめて眠りにつく

 

午前11時、雷じじ様の大声がする

耳が随分遠くなった雷じじ様は大音量で

私を揺さぶり起こす

 

眠い目こすって正午、階段を降りれば

怒涛のばば様の憎悪の波にのまれそうになる

じじ様のことでたまった疲労は

私に向けられた

 

 

田舎に帰れば、眠れると思っていた

 

でもそこに待っていたのは

変わってしまった田舎だった。

 

じいちゃんは認知症が進んでいた

耳が随分遠くて、家の中は常に大きなテレビの音がしていた。

 

ばあちゃんはやっと終わったひいばあちゃんの介護もそこそこに、じいちゃんの相手をしていた。

まるで「悲劇のヒロイン」みたいに、

私に自分の話をした。

 

そしてことあるごとに、

私の異常性を突きつけた。

 

「車に乗れんけえな」

 

何度も何度もそう、繰り返した。

 

そして「自分は忙しい」のだと

「だらだらする事は醜いこと」だと

幾度となく、突きつけられた。

 

私はここに、休みに来ているのに。

まるでだらだらするのが「いけないこと」だとでも言うように。

 

 

悪気はないのはわかっていた。

むしろ2人をいたわるのが私の役目だとも

知っていたつもりだった。

 

それでも、あそこは東京より

もっともっともっと、息苦しかった。

 

家の中はいつも寒くて

ばあちゃんは愚痴をこぼし続け

じいちゃんは大きな音を流し続けた

 

私はいつもより、薬を多く飲んだ。

 

 

そして私は逃げるように電車を乗り継ぎ、

尾道へ来た。

日帰りのつもりだったが、急な思いつきで

ゲストハウスへ泊まっている。

 

ばあちゃんは心配していた。

 

東京にいる母さんと父さんから連絡がきた

母さんからの電話を取ると

私は泣いてしまった。

 

ばあちゃんのこと、じいちゃんのこと

眠れなくなったこと

心が苦しいこと

早く東京に帰りたいと思ったこと

 

私は全部、母に話した

初め怒り口調だった母も、途中から声色を変え

そうかそうかと話を聞いてくれた。

 

 

ゲストハウスに泊まってみると

驚くほど心地がよかった。

 

「私に必要なのはこれだった」と

やっと気づいた。

 

一人、夜道、港の造船所、共同キッチン

よく泡立つシャンプー

そして、静寂

 

 

五感を十二分に使って息をした

 

夜の港町の風を、お腹いっぱいに吸い込んだ

 

 

変わっていくことがある。

 

それは当たり前で、どうしよもなくて

誰も悪くないことだ。

 

誰も悪くないからこそ、みんなその悲しみや不安をどこにぶつけたらいいのかわからない。

 

そうして糸が緩み弾けては

誰かを傷つけ、また悲しみばかりが増していく。

 

ばあちゃんも、じいちゃんも、

そしてきっと私も

誰も、悪くなかった。

 

 

私が変わってしまった時だって

きっと本当は誰も悪くなかったんだ。

 

母さんも父さんも、そしてきっと、私も

 

 

私は変わってしまった人間だ。

 

だから変わってしまった本人の痛みを

分かち合うだけでなくて

そこにできる誰のせいでもない「悲しみ」を

受け止められる人に私はなりたい。

 

変化は時の流れが解決してくれるけど

そこに広まっていく悲しみを

家族や友達に伝わる誰のせいでもない悲しみを「苦しかったね」と受けられる人でありたいと

 

初めてそう、思ったのです。

 

 

田舎は、苦しかった

変わってしまっていた。

 

ねえそれでも私は

田舎が、

ばあちゃんが、じいちゃんが

だいすきだよ。

 

 

今日はこのへんで

 

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私と病気と引きこもる理由

 

 

お布団にくるまっていることが

あの頃の私にできる、精一杯でした

 

 

 

体調が、安定しなくて

目眩やら胃もたれやらが酷く

朝まで寝付けない夜が続いています。

 

いっそのことインフルなら楽なのにと

どんなに思うか。

 

体がしんどいと心もしんどくなっていくようで

自分のことばかりが、嫌に思えてくる。

 

職場を休んでしまって

迷惑をかけて、

思い出すのは、去年の今頃働いていたイタリアンでのこと

 

私が体調不良でお休みした日

私のいるグループラインで私の代わりの

埋め合わせあいが始まった

 

私、頑張れば○時からいけます!

ごめんなさい、今出先で...○ちゃん忙しいから私はいってあげたいのに、、

もしかしたら□時からなら行けるかも!

みんなごめんね〜私も出先だあ

全然大丈夫ですよー!

 

 

それは

私がいるのに、私がいない話し合い

 

その後すぐに1人ずつにLINEを送っても無視で

私はもう心はそこに無くて

涙さえも枯れていて

逃げるようにその職場を、辞めたのです。

 

 

人様に迷惑かけるくらいなら

働くなよ

布団にこもってろよ、出てくるなよ

 

そう、言われてるようで

 

 

ごめんさないと何度も心でつぶやいて

涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま

何日も布団にくるまって

 

そうしていたらそのうち生きる意味さえわからなくなって

 

生きているだけで社会に迷惑をかけるなら

 

布団にくるまってただ飯を食い空気を吸うだけの塊なら

 

生きる意味なんて、あるのかと

 

もう何も食べれなくなって

もう何処へも行けなくなって

もう

 

もう、生きているのか死んでいるのかさえ

わからなくなって。

 

 

「頑張れよ」と言われたって

 

頑張りたくても

そのためには必ず誰かに迷惑をかけなければいけなくて。

 

イタリアンでのその日の後だって

本当は辞めるつもりなんてなかった

けど

「今日頑張れなかったぶん、他の日たくさんシフト入ればいいじゃん」って

アドバイスくれた友達がいて

 

私にはそれをする、体力もないなあと思って

 

 

頑張るには、必ず誰かに迷惑がかかる。

 

 

理解のある家族なら

無償の愛を注いでくれる両親なら

多少は甘えられるかもしれない。

 

でもそれが職場なら

赤の他人なら

それが、頑張ってる人なら

大切な人なら

 

どんどんどんどん、

迷惑をかけれなくなってしまう。

 

 

泣き寝入りして布団にくるまったままなら

君の世界は理解されないままだよと

 

そんな事を最近では思ったけれど

本当に怖いのは

大切な誰かに迷惑かけてしまう事だよね。

 

君は誰より痛みがわかる人だから

人に迷惑をかけるなんて絶対に出来ないこと

そのためには自分をこらえて

布団を涙で大洪水にさせることさえ容易いこと

 

本当は

あなたが一番辛くて

あなたが一番不安なのにね

 

 

「いくじなし」に、なってませんか

 

あの子はあなたに迷惑かけられてもいいと言ってるのに、あなたは怖がって布団にこもってるだけになっていませんか

 

 

人からたくさん迷惑をかけられる人に

なりたいです

どうでもいいか、よこだし

そんな風に思ってもらえたら、万々歳

 

 

 

体調を心配してくれる

体調が良くなることを心から喜んでくれる

ここにいていいよと、言ってくれる

 

そう言う人たちがいるうちは

私はまだまだ頑張らなきゃいけないと思います

 

いつ見放されるかなんてわからない

それでも、今やれる全てをやるしかないんです

 

出勤の朝

私は何度も思う

 

雇ってもらえることは幸福で

働けることは奇跡だ

 

 

 

早く、元気にならなくちゃ

 

頑張ってご飯を食べなくちゃ

 

絶対、治さなくちゃ。

 

 

 

今日はこのへんで

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photo by noa

私と病気と退学

 

大学にくると

やはり涙が、こぼれそうになります。

 

 

しかしそんなことを

学食でぼっち飯を取りながらしてしまうと

周りからの視線で殺されるわけで

ぐっと涙をこらえてる所存です。笑

 

大学に着くと

大学生たちがキラキラと輝いて見えました

 

手に書かれた文字や

友達との談笑

グループでのレポート会議

 

彼、彼女たちにとっての

「当たり前の日常」が、午後の太陽に

キラキラ照らされながらただそこに

続いていました。

 

 

卒業を、したかったです。

 

 

今までこんな言葉は、一度も漏らしたことが無いけれど

ここにくると、2年という途方も無い思い出が

一度に脳裏に蘇り

目の奥がぎゅっと熱くなって

たくさんの思い出が、蘇るのです。

 

正直、復学し頑張って通ったころの駅を通ると

寒気がします。

「あの頃、必死に誤魔化していたけれど本当は

こんなにトラウマになるほど嫌だったんだな」

そう今になって気づけます。

 

それでも

入学したてのあの頃や

サークルを立ち上げでわたわたしてたあの頃や

レポート、課題に追われてたあの頃や

友達と授業をサボったあの頃や

ミスコンにでたりしてたあの頃が

 

一気に私の胸に降り積もって

 

ああやっぱり、卒業したかったなあ、と

 

思ったり、してしまうのです。

 

 

そんなこと言えば後悔に聞こえてしまいそうで

立ち止まってしまいそうで

怖くて

普段そんな弱音は決して言わないけれど

 

 

やっぱり、ちゃんと、出たかった。

 

うん。出たかったよ。

 

みんなと袴を着て、卒業したかった。

 

それは

受験を頑張った私

入学させてくれた両親

そして在学中に触れたもの

それら全てに対する

 

執着と、罪悪感です。

 

汚い、醜い、感情たちばかりです。

 

 

退学する!なんて

軽く言ってはいるけれど

 

それらの汚さが私の胸にあることは確かです。

 

それでも私はこれから生涯

心の中で、その汚い感情と

共に生きて行く覚悟を決めなければいけないから。

 

それを汚点として生きるのではなく

私が選んだ道だと

ここを進んでよかったと

そう思えるものに変えることが、これからの私の目標です。

 

 

白野よこは

とても幸せで

 

たくさんの暖かさや色や温度に囲まれて

毎日が幸せすぎて、怖いくらいです。

 

でも私はいつかは

瞳として、生きていかなければいけないことも、ちゃんと分かっています。

 

このままでいいなんて思ったことは

一度も、ないよ。

 

昔も、そして今も。

 

 

進め、

 

たとえ曖昧でも

たとえ汚いままでも

 

それが私の、覚悟だ

 

 

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photo by kei

 

私と病気と母に望む事

 

家事が、苦手です。

 

 

「洗濯たたんどいてくれる?」

 

眠る前に携帯をいじっていた私に、

母は突然言ってきたよ。

 

いろいろ考え答えを絞り出せずに

無言で俯いていたら

母は追い打ちをかけてきて

「少し考えさせて」と私は言い渡したの。

 

すると母は「今、答えて」

 

 

 

言葉を出せずに俯く子供に

考える間を与えない大人は、ずるい。

 

何か言いなさいと

黙っていたらわからないと

まくし立てられることは、心底胸がつまる。

 

何も言えない間

いろんなことを瞬時に考えていて

それで頭がショートしかけた時に

追い打ちをかけられれば

完全にショートし、また底に落ちてしまう。

 

 

子供それぞれに合った会話のペースを

もっとちゃんと、見つめて欲しい。

 

 

そして得意教科、不得意教科のように

子供にとってなにが不得意なのか、

それがどれだけストレスなのか、見つめて欲しい。

 

大人になれば家事をするのが普通

お手伝いは当たり前

 

それは「母親」の基準で

その全てを子供に当てはめるのは

何か、違う気がしてならないのです。

 

子供は、わかっているから。

「お手伝いはしなきゃいけない」

 

それが、家に立場のない子供であればあるほどに、よく、わかっているから。

 

しなきゃいけないのはわかってる。

だけどそれはとてもストレスで

今の私にはそれをする余力がないの。

 

それが、本音なのに

 

でもそれを言えば

お手伝いくらいできるでしょと、甘えるなと、私ばっかりと言わんばかりの疲れた顔で

あなたは見てくるから。

 

1人の時間や

1人のペースが必要な時に

家庭や母親という立場の基準で

何かを強要されるのは

とても、苦しくて。

 

本当に心に余裕がなくなると

 

「それは母親の仕事でしょう」と、

 

「あなたが勝手に母親になったんでしょう」と、

 

そんな悲しい言葉を、ぶつけてしまうから。

 

 

家事を頼む時

 

向き不向きを見極めて欲しい。

 

例えば私は

洗濯を畳むことはストレスに近い苦痛でも

晩御飯を作ることはストレス発散に近い喜びで

 

それならいっそそっちを頼んでくれたらいいのに。

 

あの時、私に考える時間をくれたら

 

「洗濯はちょっと辛いけど、晩御飯なら作れるよ」

 

そう、言えたはずなのに。

私は結局なにも言えないまま

あなたは疲れたため息ひとつ、私の部屋に

残したまま。

 

 

たかが些細な親子喧嘩でも

私のような子供には

その些細な喧嘩は静かな夜に大きく轟いて

1人、お腹が痛くなって

眠れなくなって。

 

 

きちんと、見つめて欲しい。

 

会話のペース

得意、不得意

話しをする時間帯

 

嫌なものとも向き合いなさいと

あなただけで生活してるのではないと

 

そういう周りの価値観や

大きなくくりで見つめてくるその前に

 

目の前のたった1人の子供をどうか

きちんと見つめて、見極めて欲しい。

 

親という存在がどれだけ、

どれだけ子供にとって大きいかを

忘れないで欲しい。

 

子供が成長したってそれは同じであることを、

覚えておいて欲しい。

 

あなたの言葉ひとつで

子供は自分をいくらでも殺せるんだ。

 

 

きっといつか忘れてしまう

未来の私へ

 

子供の私からのメッセージ

 

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photo by kei

 

私と病気と汚点

 

 

相方のロードバイクを購入して

ちょうど1年が、経ちました

 

私と病気と成人式 - よこと病気と○○と

 

ニートしてから、はじめてのお給料で買った

ロードバイク

 

もう行けないと諦めていた同窓会

 

銀座までの14キロを買いたてのロードに跨って

ピンヒールで漕いだあの日の事を

着物の柄の美しさなんかよりずっと鮮明に

私はよく覚えています。

 

そんな私はこれから

電車に向かってある場所へ向かいます。

 

私が2年通った、大学へ

 

退学手続きを、しに行きます。

 

大学に行くのはまだ正直少し怖くて

今も少しだけ体がこわばるのを感じているし

心は鉛のように冷たく、重くて。

 

でもこれに対して私は、

「負けた」とは思っていません。

 

やっと覚悟ができたのです。

私は教育の心理の勉強がしたい。

将来何になりたいなんてそんな明確なものは

何1つないけれど

私は私がやりたいものを選び進むと

そう決めたのです。

 

 

普通のことができないと

周りはそれを「汚れ」とします

 

引きこもり時代があった

汚れ

 

みんなと一年遅れた

汚れ

 

大学を中退した

汚れ

 

戸籍にバツがついた

汚れ

 

 

汚れ汚れ汚れ汚れ汚れ

 

確かにそれは

どれだけどれだけ擦っても磨いても

落ちない汚れだけれど

それでも、汚れと向き合い行き続ける人は

 

美しいと、思います。

 

「汚れがいつか力になる」

そんな綺麗事はとてもいえないけれど

 

それでもそれを汚れとして

その汚れを持ってして

生きる覚悟を、決めたあなたは

 

強く逞しく、思います。

 

 

覚悟を決めるのには

多くの時間を割きます。

 

私には無理だ、と今そんな風に思えても

きっと必ず時間が解決してくれる。

 

半年か、一年か、はたまた十年か

どれくらいかかるかは人によって違うけれど

そしてその時間は途方もなく辛い日々だけど

 

あなたが今はあなたに覚悟を持てた時

あなたはちゃんと進める、あなたの道を、進める

 

だからそれまでどうか、耐え抜いて

 

越せない夜に泣いたって

どうか、生き抜いて。

 

 

成人式

みんなが大人になる中、

私は年下の子からもあまり年相応に見られないままです。

でもそれで、いいんです。

 

私は大人と子供の間にいたい。

それが必ずこの先私の道の役にたつはずだから

 

大丈夫、大丈夫

信じて進めば大丈夫

 

転んじゃったその時は、笑い飛ばしてあげるよ

 

 

今日はこのへんで

 

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photo by kei