よこと病気と○○と

1人の人間として、ありのままをツラツラと。お布団と社会の間から

私と病気とあなたの娘であること

 

22歳

 

「母の日」を

照れずに祝えるようになって2年目です。

 

去年の母の日

私はまだ働くことも電車に乗ることもできなかったから

 

精一杯の料理を作った

 

私と病気と母 - よこと病気と○○と

 

お刺身を綺麗に切り落として

お花の形にしてお寿司のケーキ

 

お母ちゃんの大好きなアボカドはディップにして、サーモン、トマト、チーズと一緒に

リッツパーティー

 

美味しい美味しいって

たくさん食べてくれるのがすごく嬉しくて

来年もこうして祝えたらなって

そう思った

 

 

そして本日、母の日

 

ならない勉強、展示の準備でおわれにおわれ

ご飯を作る時間なんて全然とれなくて

 

それでも去年と違うことは

働けていること

電車に乗れること

 

お洋服のトータルコーデのプレゼントを選んだ

白の刺繍ブラウスに

綺麗なエメラルドグリーンとネイビーのリバーシブルのスカート

気になってると言っていたサッシュベルト

 

せっかく娘に生まれてこれたからね

精一杯女の子らしいものを選びたい

 

お洋服、お化粧品、料理器具

 

美しさは強さだと

歳を重ねるたびに実感する

どうかあなたにもいつまでも強く

凛々しく、私のお母ちゃんでいて欲しいよ

 

「ごめん、展示の準備でおわれて今日はご馳走作れないから、来週のどこかで作らせてね!

今日は堪忍!」

 

そう送ったメールに

あなたがくれたのは

 

「母の日に手が回らないほど忙しい日々が、

母の喜び!」

 

そんな愛情に溢れかえった言葉でした

 

 

お母ちゃん

お母ちゃん

お母ちゃん

 

手のかかる娘でごめんね

ろくに大学にも行けなくて

周りと同じように生きられなくて

何度も失敗を繰り返して

何日も部屋に引きこもって

時にはあなたにやつあたりして

怪我と病気ばかりの毎日で

心配ばかりかけて

あなたにはなんの非もないはずなのに

あなたの人生まで巻き込んでしまった

 

きっと私が通信に行くと決めた時も

私の知らないところで父ちゃんを説得してくれたのでしょう

 

それでも

いつも味方でいてくれたお母ちゃん

 

私の悲しみも喜びも

あなたのことのように喜んでくれたこと

 

ありがとう

ああ私やっぱり、あなたの娘でよかった

 

今日帰ったら

このプレゼントを渡すね

どんな顔するかな、喜んでくれるかな

 

感謝も愛もどうかどうか

全部届きますように、伝わりますように

 

 

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photo by noa

 

関連記事「私と病気の子供とその親」

私と病気の子供とその親 - よこと病気と○○と

 

 

 

私と病気と眠剤

 

眠剤が嫌いだった

 

 

夜は眠りたくなかった

眠るのが怖かった

 

朝になって部屋が薄明るくなり始めた頃に

安心してようやく眠る

そうしてすっかり日が登りきった頃に目を覚まし、足りない1日を嘆くように夜を迎えた

 

眠剤は、よく効いた

効きすぎるくらいだった

 

副作用が辛いから、弱めな薬に変えてもらった

それでもまだ眠剤は苦手だった

 

眠剤を飲んだ状態で綴ったブログを

朝に読み返しても

全く、書いた記憶がないのだ

そこにある言葉はどれも見慣れない使い慣れない言葉ばかりで

 

自分がひどく、恐ろしかった

 

ゆるり、視界が緩んだかと思えば

どろり、思考が働かなくなり

水面に頭を押さえつけられるかのように

眠りにつかされる

 

眠剤を飲むことがとても怖かった

 

とても冷たい目で

「少し黙りな」と言われてるようだった

 

 

眠れないと弱音を吐けば

薬飲んだの?と返ってくる

怖くて飲めないと何度めかの同じ答えをすると

幾度となく聞いたおきまりのため息が

二人の間に滞る

 

「飲まなきゃ、良くならないよ」

 

そういう彼の言葉から

私は『早く寝てくれよ』というような、

親のあの目を思い出した

 

 

綺麗事なら、言わない方がましだ。

 

いつからかハッピーエンドが嫌いになった

どんな苦悩を乗り越え最後に幸せであったとしても

ハッピーエンドで終わらせることは

あの時の私に対する侮辱に思えた

 

 

もう今は眠剤は飲んでいないし

彼もここにはいない

 

それでも今日みたいに何気なく寝れない夜には

常備薬の安定剤を飲み睡眠を促すのが日課で

それを飲み忘れた今日みたいな夜には

薬に生かされていることが

身にしみる

 

あの時の親の目を思い出し

全てを終わらせるように眠剤を飲んだ

あの夜のことを思い出す

 

感謝してやまないこの薬に

時々恐ろしいほどの憎悪を覚える

 

こいつがなければ私は

眠るという行為さえままならない

人間であることさえ、ままならない

 

時々

本当に時々

そんなふうに思う

 

バカみたいな考えが頭を占めて

体を真っ黒にどろり蝕むように

 

普段あれだけうるさいのに

夜は嫌になる程静かで

 

普段あれだけ眩しいのに

夜は怖くなる程何も見えなくて

 

自分の声ばかりが煩く響いて

先ばかりが見えなくなる

 

夜に眠りたい

早く、夜に眠りたい

 

そうして明るい朝を迎えたいだけなのに

 

なのにどうして

気付くとこんなにも

ここは深い

 

 

私と通信大学と一般大学の違い①

 

出席が成績に換算されないということは

こんなにも気持ちがいいことなのか

 

 

 

教科書が届いて5日

毎日ちょこちょこ通信の勉強をはじめました

 

始めて少し感じた普通大学と通信大学の違いを書いていきたいと思います

 

今回は大きく違いを感じたこの2つについて

1.勉強期間

2.時間割

 

そして最後に今の所感じている通信の

メリット、デメリットを書きたいと思います

 

 

1.勉強期間

 

○一般大学

→2期制

4〜7月(春セメ)/10〜1月(秋セメ)

8-9月(夏休み)/2-3月(冬休み)

 

◎通信大学

→通年

4〜1月

2-3月(冬休み)

 

通信にはまず一般大学のように学期制度がなく

通年を通して勉強していくスタイルです

 

通年の授業数は一般大学も通信大学も変わらないけれど、やはり自分で学ぶということで

多く時間は取られるぶん、一般大学よりも休みが少ないように感じます

 

2.時間割

 

○一般大学

→高校同様、全ての授業が同時進行する

例)春学期

     1周間目:国語1回目、数学1回目....

     2週間目:国語2回目、数学2回目....

 

そして長期休み前の月に全ての科目が

一斉テスト(いわゆるテスト期間)

 

◎通信大学

→1科目ずつ開始し、終了次第次科目へ進む

同時進行は最低でも2科目ほど

 

毎月各科目の期末テストがある

 

※(単)がテストのことを表す

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なので今は心理学概論のみを勉強、

5月から臨床発達心理学も開始となる

 

そして1月末に

レポート科目の全ての期限になる

 

 

これはあくまでも大学側が提示してくれている

年間計画の例です

初年度はこれに則って進むといいとされていますが、自分で適宜進度調整もできます

 

1科目ずつは飽きるかなとも思ったけれど

自分でじっくり勉強するぶん

科目が1つずつ進行するというのは

とても勉強しやすいです 

 

ただやはり、

一般大学なら1回の授業(90分)で1章進むと考えると、

通信大学(自宅学習)は2日(5〜6時間、掘り下げるともっと)かけて1章進むので

体力的にはかなりもってかれます

(一般大学は90分の中にも教授の雑談10分(お昼寝タイム)があったりするしね)

 

 

大きな違いはこんなところ

さてここから、実際に勉強して感じたことですが

 

文頭にも書いたように

なにより、なによりなにより!

 

出席が成績、やる気に換算されないことが

心底気持ちいい!!!!

 

行きたくてもさ、やりたくてもさ

できない時ってあるじゃないですか

 

特に体や心になにかしら事情を抱えていればいるほど

それなのにちょっと休んだだけで

教授からは見捨てられ成績は落とされるなんて

本当に馬鹿げてる

 

12回の授業、4回休めば落単(単位を落とす)

 

なんですかそれ

怠けてるんじゃないんです

前夜に飲み明かしてたわけでもないんです

 

身体が、動かないんです

 

それでも必死に耐えて4回の休み目一杯で

抑えて頑張って勉強したって

4回の休みがあるから

成績はSにはなれないんです

Bとかのまんま

 

頑張っても、認められない社会です

 

でも通信は違う

頑張ったぶんだけ反映される

 

通信の、大きな魅力だと思いました

 

高校の時

学校を休んで友達のノートを借りて写して

自分で調べて理解した授業の方が

普通に出席してた時より成績が良かったことを思い出した

 

たぶん、そういう

自分で好きなところ、好きな時に好きなだけ

掘り下げて勉強するのが好きな人にも向いてるんじゃないかと思う

 

ああ、この時から本当はわかっていたことなのかも知れないなと思いました

 

高校の時、通信という選択肢をもっと知っていれば、私にあった勉強方法はこれだと

見つけられたかもしれない

 

ただあの時の、一年前までの私には

通信という選択肢は到底遠いものでした

なんとなく、嫌な臭いがしました

 

でも今は、自分にあった勉強方法だと思えます

 

通信にデメリットがあるというよりは

一般大学にもメリットがあります

 

ディスカッションでする発言

大勢の前にたち行うプレゼン

チームでまとめるレポート

 

お昼休みの食堂

空きコマの屋上

放課後のサークル

 

1人では得られないたしかな社会が

一般大学にはあります

 

今でもたまに恋しくなるほど

それはとても魅力的で、なにより安心させられるのです

社会の居場所を、強く感じれます

 

手放してしまった今、悔しいけれど

やはりそれは、ぬぐいようもない事実です

 

 

昔、学校は必要ないと意見する私に

父は言いました

 

「社会とか、チームワークとか、そういうの学ぶために必要だろう」

 

はい、そうです、正論です

言い返す言葉もありません

だって私も、そう思います

 

でも大勢に「学校は必要か」と問えば

7割が「必要だ」と答える世の中です

 

そんな中で

じゃあこれ以上頑張れない人は

どこへ、行ったらいいのでしょうか

 

だから私は学校の必要性を知った上で言いたい

 

「学校は、必ずしも必要な場所じゃないよ」

 

必要なのは

君が生きやすい場所

 

 

通信大学に向いてる人まとめ

 

①教科書とにらめっこしながら、自分のペースで勉強するのが好きな人

②知らない単語を思わず調べたくなる人

③時間をかけて勉強するのが苦でない人

④やったぶんだけきちんと評価されたい人

 

 

デメリットはまだ見つからないので

これから見つけ次第また書いていければいいな思います

 

今日はこの辺で

 

私と病気と狭まり

 

ご飯は、美味しい

紅茶とパンは中でも最高だ

 

睡眠は、まあ効率悪いながらも

しっかり取れている

 

どちらかというと、過眠

 

それに伴って母親の機嫌が悪くなっているのが、よくわかる

 

なんとなく体がだるくて

なんとなくやる気がおきなくて

なんとなく、いつも眠くて。

 

1日の大半を部屋で過ごしている

 

勉強は楽しい

自分のペースで好きな時間にする勉強は好きだ

 

わからない

心が体に追いつかないだけでなく

体が心に追いつかない

 

当たり前だな

2つとも違うところを目指して走ってる

 

なりたい自分にならないのは

どうしてこんなにも苦しい

 

私が私を愛せないのは

私が私を許せないのは

どうしてこんなにも感傷的になる

 

彼女が送ってくれたメールとか

彼が一年も前の私の写真をあげつづけていることとか

母親が大きな音を立てて閉めた扉とか

 

いちいち私の心をかき乱す

一寸の狂いもなく、嫌なところをえぐってくる

 

アイスティーに浮いた小さな氷を

ストローでかきまわす

 

夕日を見てはシャッターを切りたくなる

手元に、カメラはない

 

自分のことばかりで

人にあげる愛もない

 

外れた自転車のチェーン

錆びた夢の軋む音

昨晩みた、恐ろしい悪夢

 

死んで欲しいと言われ

水中に頭を無理やり沈められる

苦しかったが、悲しくはなかった

 

どこにいても落ち着かない

 

最後に電車に乗ったのはいつだろう

自分で自分の世界を狭めていたのは誰だろう

 

どこへでもいけるということを

忘れていたのは誰だろう

 

走りだす子供の手を引く親の大きな手

花屋の求人募集のポスター

ビルの隙間から溢れる西日

風にゆれる植木鉢

コップについた結露

スーツ姿の彼の綺麗な革靴

丁寧にしまわれた紙ナプキン

 

そこにいるだけで降ってくる幸福が

たまらなく好きだった

いつからかそれさえ、感じていなかった

 

働く回数を減らし

シャッターを切る回数を減らし

通信生になり勉強する時間を設けるということ

 

それは、世界を狭くしてしまう一歩

 

通信を始めたという大きな一歩に惑わされて

それ以外のところではこんなにも脆い

 

こんなんじゃダメだ

 

うまくいかないから心と体を仲直りさせよう

 

心と体はいつもひとつ

 

体が悪くなれば心も悪く

心が悪くなれば、体に影響がでる

 

2つが別を向いていれば、引きちぎれるから

 

一年前の春から

私は変わった

私は変わった

私は、変わったよ

 

慣れないことをしているのはわかっている

初めてのことをしているのもわかっている

 

気をつけることはひとつ

世界を自分で、狭めないこと

 

それだけ、それだけ

 

それだけだよ

 

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photo by maeka

 

 

私と病気とカミングアウト

 

いつからかずっと、

誰かに背中を見られているようだった

 

その視線はどんな私も受け入れてくれるような

寛大さと

 

死ぬこと、諦めることだけは許さないという

一寸の辛辣さをはらんでいた

 

弱さを、カミングアウトするということは

その一瞬の労力だけでなく

永続的に続く疲労が伴うということ

 

「お布団と社会の間から」

 

私の目指した場所は

弱さも強さも心の奥底から吐き出すことが必要で

それとともに諦めることは許されない場所だつた

 

弱さをさらけ出すことは

周りを鼓舞する力だった

 

だけどみんな「心がポッキリ」は望んでいなかった

「私は負け組でした」そう認めることを

心から恐れていた

 

それは、自分を投影していた自己にも重なることだからだ

 

私にも、そんな人がいた

その勇ましい姿に私は自己を投影し

光を見出していた

 

結果としてその人は「心がポッキリ」

いなくなってしまった。

 

「がーん」

そんな効果音がまさにぴったりだった

 

そんな視線の重圧をいつからか私は感じていて

先日「もう無理だ」と何度も呟いてしまっていた

 

痛みも苦しさもしんどさも

もはやわからなかった

ただただ光なんてどこにもなくて

 

乗り換えようと思っても超えられない壁が

ひたすら目の前に立ちふさがってしまった

 

何をしても、現状は変わらなかった

 

こうして私から血と涙が出るということは
限界を、超えたということ

私たちは教えられてきた
「限界を超えると死んでしまう」と

だから限界は、超えてはいけない
血を流しているのを見るのはこっちだって辛い

限界は目指しても、超えてはいけない
限界を超えた瞬間に
打ち砕かれ、ぼろり崩れ落ちてしまうからだ

でも、本当に、そうなのだろうか
私が変えようとしているこの限界の先は

死なのだろうか


非現実的な話はしたくなどないけれど
お話の多くは掲げている
「限界を超えてゆけ」と

限界を超え
強く、高く、早く

「限界を越えれば、強くなれる」

一概には、言えないのではないか
決めつけてはいけないのではないか

誰かは言う
「限界を超えたその先は、死である」

そんな周りの幻想に惑わされ
戦うことを放棄しては
いつまでも弱虫のままではないだろうか

誰かは言う
「限界を越えれば、強くなれる」

もちろんそんな周りの圧迫感に飲まれ
流す血ももはや一滴もないのに戦い続ければ
本当の終わりが来てしまう


私は限界を超え死んでしまった人を見たし
それでも私は、限界を超え強くなれることを

今だって信じていたい

決して、
弱いものが限界を越え死ぬのではない

見極めるんだ

その限界の先にあるものを
ぶつかり血を流す前に、見極めるんだ

超えた先に、強さがあるのか
超えた先に、死があるのか
または
死に似たものがあるのか

それができたなら
たとえ自分が限界に出会い、打ちのめさされそうになって
まわりに「お前にはできないよ」って
同情の目で見られた時だって

「私にはできる」と
睨みつけることができるんじゃないかと思う

この前は超えられない限界であったけれど
これは超えられる限界だと、自分でわかっていれば

周りから見たら根拠なく見える自信だって
自分の中では確信なのだ

一度限界を超え
死にかけたなら、できるはずだ

超えられる限界と超えられない限界の見極めが

 

最下点への、3度目の落下

わかったことはひとつ

 

空白の日は、これで何日目だろうか

そんな事は、数えなくていいのだ

 

一体いつから私はこんな日々なのか

2.3日のことに感じる

それでも現実は1週間も、2週間も進んでたりする

 

それは自分の時間と周りの時間が

あっていない証拠

 

その時は無理に周りの時間に自分の時間を押し込めようとしなくていい

少しずつ取り戻すのが、一番の近道だ

 

少しずつ

寝る時間を整えていけばいい

15分ずつ、30分ずつ、ずらしていけばいい

 

少しずつ、食欲を回復していけばいい

何もたべなくても平気な日々から

少しずつお腹が空くように体を整える

 

少しずつ、体力を取り戻せばいい

好きなスポーツをほんの少したしなめばいい

ほんの数メートル、散歩に行けばいい

 

時間の流れが合わなくなった時

1番大切なのは「快適な習慣を守ること」

 

自分にとって最大限に快適な習慣をつくり

それを大切に守っていくこと

 

この空白の期間こそ

目には見えないけれど間違いなく

最下点から最上点への曲線の真ん中

 

直線じゃなくていい

斜度は急じゃなくていい

 

波打ちながらゆっくり揉まれながら

登っていくのが、1番自分らしい

 

 

いつか

いつかもしも私が「心がポッキリ」

そうなってしまった時

どうかその姿からさえも光を見出してもらえるように

 

精一杯爪痕たてて、私は生きていたい

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photo by awai yuri

 

わたしと病気と春

 

 

桜を見ても心ふるわない

 

美しい言葉など一寸もでてこない

 

咲き誇るピンクを見ては、心が苦しくなり

じわり涙が、こみ上げる

 

花びらは風に吹かれ

瞬く間に空に舞い上がり

ゆらりふわり、地に堕ちる

 

うまく、笑えない

 

桜を見つめ自転車を漕ぐ人も

手を繋ぎ桜を眺め歩く老夫婦も

みんなどこか、幸せそうで

 

多分私が今ここいらで一番

悲しい顔をしているのではないか

 

春など、こなければいい

 

昔誰かが「日常」は誰しも平等に

持っている

 

 

と言っていたけれど

 

平等なものなど、ないと思っていた

 

だけど今の私に

季節だけは、どこまでも無慈悲に平等であった

 

望もうと望まないとも

春はくる

 

春というのは不思議な季節で

幸福の匂いがそこら中に満ち満ちている気がする

 

昔の出会いや別れを、思い出しているわけではないのにどうしてこんなにも

胸が熱くなる

 

今の私に

春は少し、朗らかすぎた

 

誰がこんな春を予想しただろうか

誰がこんな春を望んだだろうか

 

どうして道行く人はみな、

幸福の香りがするのだろうか

 

どこからともなく転がり込んできた

一枚の桜の花びらは

いったい私に何を運んでくるというのだろうか

 

 

 

グレーのジャンパーを着た中年の男性が

公園の小さな球場のベンチに座っている

 

手元には缶のビールが置いてあり

顔はやつれ、もうすでにほんのり赤い

父親」のようなトートバッグは

少しくたびれていた。

 

球場では、低学年くらいの子供たちが

半袖にキャップをかぶりピッチングの練習をしている

 

誰かの父親だろうか

でも保護者はみな、一階のベンチ席で

愛しい我が子の様子を目を柔らかくしながら見つめている

 

彼はうつむき気味に酒をすする

 

彼を見て私は、

春が彼みたいな人ならいいのにと思った

 

カンッと打たれた野球のボールは

軟式ボールだろうか

春の追い風に負けファールの方は吸い込まれてゆく

 

それからほどなくして

試合の途中で春のような彼は

くたびれたトートバックをもちあげ

のらりくらり立ち上がり

背中を少し丸めたまま球場の階段を降りて行ってしまった

 

球場の子供達は

きっとこの後、泥だらけになった体を

温かいお風呂で丁寧に洗い落とし

 

母親の作った美味しいご飯を食べ

試合のハイライトを自慢げに話し

すごいねと褒められるのだろうか

 

そうしてふわふわの布団に

するり入り込み

眠りにつくのだろうか

 

あの彼は、どうなのだろうか

あの春みたいな彼は

 

丸めた背中が、わたしの目の奥でやけに印象的に残っていた

 

ひゅっと吹いた風が、思った以上に冷たく

フレアのスカートからのぞいている

貧相な私の足首は鳥肌を立てていた

 

帰ろう

 

私は立ち上がり

手元にあったカゴのトートを持ち

少し背中を曲げながら階段を降りる

 

球場ではまだ、子供たちが野球に夢中になっていた

 

春はもう少しだけ先なのかもしれない

 

私と病気とどん底

 

多分、どん底にいた

 

 

大事なものを奪われ

体は悲鳴をあげ

全神経が、砕け散るような

 

久しぶりに、あの感覚だった

 

体がどんどん黒くどろっとしたものに飲まれ

目を閉じれば涙が溢れた

 

光だと信じて手を伸ばしたものは

一瞬で消える

 

 

「なにもない」

 

 

誰の言葉も届かない

LINEもDMも見ても心に届かない

 

拭いきれない悲しみと

受け続けるしかない痛みを

耐え続けるしかなくて

 

そうしてもうだめだと、

体が倒れたまま、動かなくなる。

 

動かなくなった、その先は、

 

 

 

恐れていたことだった。

 

抜けたはずのトンネルが

超えたはずの壁が

這い上がったはずの深い穴が

 

また目の前に、立ちはだかった

 

「波」

 

人の人生は波の中にある

日々、時々、小さな波は常にある

しかし今を例えるなら、大きな波

人生の起点にもなるほどの大波が来てしまった

  

長い年月かけながら

血汗流しながら

ようやく、やっと超えたマイナスの波が

 

プラスになった瞬間

急激に、落ちる

 

落ちる

 

やっとの思いで奪い返した 

日常を

普通を

当たり前を

 

根こそぎ、奪われ返される

  

絶望、だと思う

  

ああ、もう立てない

ああ、もう頑張れない

 

もう

 

もう、どうでもいいか

 

 

ごめんなさい

私はあの時一瞬でも、諦めた

 

救いたいと言ったあの言葉さえも

私は、諦めた

 

抜けても抜けきれないそのトンネルに

 

超えても立ちはだかるその壁に

 

這い上がっても突き落とされる、その穴に

 

 

私は、負けた。

 

 

 

正直

プラスの波の上にいた時

私は、言葉を紡ぐのが怖かった

 

「お前に何がわかるんだ」と

言われてしまうのが、怖かった。

 

でもマイナスに落ちた今

そんな恐怖は消え去った

それはきっと、ここが最終地点だから

 

最終地点にいること

 

それは何を嘆いても、

それを誰も否定できないということ

 

自分の痛みは、

自分しか分かってあげれないのだから

 

あなたが「違う」と言えば、

それは「違う」のだから

 

そしてここは最終地点

もう失くすものなど、なにもない

 

後にあるのは「死」だけだ

 

それなら、

死ぬまで食らいついてやろうじゃないか

  

人は

落ちた後が、一番強いよ

 

 

それなら後はまた

休んで、休んで

引きこもって、引きこもって

体の不調に耐えて、耐えて

 

その間に来る

壮絶な自己嫌悪も

果てしない軽蔑の目も

全部、全部飲み込んで

 

そして見つけた一瞬の可能性の細い糸を

掴んで、離さないで

 

たぐり寄せる

 

 

大丈夫

落ち方だって数をこなせば

痛みは少しずつ、減って来る

 

 

私がこれから先目指す場所には

プラスとマイナス、両方ともいるんだよ

 

マイナスだけでは「敗者」のままで

プラスだけでは「勝者」のままだ

 

どちらの気持ちも、忘れちゃいけない

 

だから私は一生この波の中で生きていく

 

どん底だって

あの途方も無い痛みだって何度だって、

耐えてみせよう

 

「お布団と社会の間から」

 

それが私の目指す場所だから

 

 

夜を越し朝を迎えたものだけが見る

景色がある

 

頬に無数の涙後

枯れ果てた涙をはらむ赤い瞳に

 

部屋を包み込むような藍の青

カラカラなのは涙、声、心

 

ただ遠く、遠くを見つめる

絶望の淵

 

そんな朝を

今日いったい、何人の子が迎えた

 

何人の子が、命を絶った

 

 

「救いたい」

 

そんな単純な気持ちじゃ、だめですか

 

そんな浅はかな考えじゃ、だめですか

 

そんなバカみたいな夢は、だめですか

 

それでも

私を必要としてくれた人がいる限り私は

 

私を信じ続けていたいんです

 

1分でも、1秒でも

1gでも、1度でも

1mmでも、1人でも

 

生きやすい世界を

 

私は作りたい

 

だから私は、この道を進みます

 

 

どうか、忘れないで

私をここまで生かしたのは

「心が軽くなりました」と

「泣いてしまいました」と

「救われました」と言ってくれた

あなたの言葉、あなたそのものだということ

 

人は生きているだけで

誰かの光になることができる

 

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