よこと病気と○○と

1人の人間として、ありのままをツラツラと。お布団と社会の間から

私と病気と新しい夢

 

気づけばもう11月で、

今年も終わろうとしていますね。

 

ふとネットを見ていたら、サイトの広告欄に「通信大学 願書受付」の文字が見えて、

私が通信に通う決意をしてから

もう一年が経つのかと。

 

月日の速さは大学に通っていたころの倍速の速さで、2月で三年が終われば、4月から私は四年生になります。

通信は卒業後のフォローが一切ないので、

卒業と同時に社会に放り出されるので、

その後の就職は自分で切り開かなければなりません。

 

 

そんな中で

私、新しい夢ができました。

 

まだ全然あやふやで

形になるものは1つもなくて

それでもあの時もそうだったように

こうしてここに書き留めること、

誰かに話すことに意味があると思って

ここに記します。

 

 

卒業後、院に行きたいです。

大学院で2年間、勉強をしたいです。

 

そしてやっぱり、

学校に携わる夢を諦めきれないのです。

先生になることを諦めて、この臨床心理の

学問にやってきたけれど

それでも私は学校という現場に携わりたい。

 

スクールカウンセラーに、なりたいのです。

 

院を卒業したのち、国家試験を受けたいのです。

 

険しい道だとわかっています笑

 

 

それでも、

 

挑戦したい。

 

ダメかもしれない、

たくさん挫折を味わうかもしれない。

それでも、やってみたいんです。

 

もちろんその中で、私はまたどこで体を壊すかわからないから、保険として学生のうちに調理師免許を取っておいて、
また体がダメになったらきっぱり諦めて
第二候補に進もうとか、そういうことも考えつつ。

 

 

 

私はこれまで

やめるという決断をたくさんしてきました。

 

普通に生きることをやめる。

学校をやめる。

 

やめる、という決断は本当に苦しくて

とてもとても難しかった。

 

でもそんな私にとって、

何かをやるという決断は、あまりにも容易で

不安以上に光にあふれているように思います。

 

 

「私は、社会で生きられない人間です」

 

それは世の中に勉強のできる人とそうでない人がいるのと同じように、

社会で生きられる人と生きられない人がいると思うのです。

 

私は、断然後者でした。

それでも必死で周りに合わせていた結果

心がどうしよもないところまで壊れてしまった。

 

そこでようやく私は

私は社会で生きられない人間なのだと

気づけたのです。

 

ここでまた普通に戻ろうとして

就活して、一般職についてをしてしまうと

私は確実に私を殺します。

 

それじゃああの時の、

普通に生きることを諦めた時の涙は、

退学届を握りしめた時の涙は、

あまりにも報われないじゃないか。

 

私が涙を流したのは、

私がこの先、私が歩める道を自分で探し

歩んでいくと決めた涙だ。

 

周りより遅れても

普通にはできなくても

それでも私が「幸せだと」そう感じる命を

全うしたいのです。

 

成長したことは、ここで書き記す前に

母に話せたということ。

 

母はそこまで考えていた私に少し

驚いていたようでした。

 

でも、特に大きく反対もせず、ただ応援もせず、私の話を聞いてくれました。

 

それで、よかった。

 

反対されてもきっと私は何も思わなかった。

自分がどれだけ迷惑をかけていたかも知っているから。

 

それでももし反対されたら、一度だけ院試受けるチャンスをもらったと思います。

だって一般就職だって、みんなは一度受けるんだから。

私にだってそのチャンスはあっていいはずだから。

 

 

目の前には、ただただ途方もない長い年月があって、私はこれから30歳めがけてその道を進まなければいけないかもしれない。

 

呆れる大人も、冷ややかな目をする動機も

無理だよって笑う自分もいるかもしれない。

 

それでも声を大にして言いたい。

 

「若さは、それだけで力だ」

 

若いということは

それだけで大きな力になります。

若いうちは気づかないだけで、若さは途方もなく「強い」んです。

 

そして強さは、自分の自由度に繋がります。

 

財力と同じように、年齢力も

あるだけで許されることがたくさんある。

 

だから、目の前の長い年月にどうか

絶望なんかしないで。

 

 

今まで、逃げることばかり考えてきた。

終わらせてしまいたいとばかり思っていた。

 

そんな人間が

ここまでこれたこと。

 

それだけで私は幸福であると

心から感じます。

 

支えてくれる

応援し続けてくれる人たちへの感謝を忘れず

まずは目の前のレポートから頑張っていくよ。

 

 

今日はこのへんで

 

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通信大学について
→私と通信大学と一般大学の違いhttp://yoco-0531.hatenablog.jp/entry/2017/04/18/042610

退学について
→私と病気と「先生へ」http://yoco-0531.hatenablog.jp/entry/2017/03/13/011310
→私と病気と退学届http://yoco-0531.hatenablog.jp/entry/2017/02/20/153906
→私と病気と退学http://yoco-0531.hatenablog.jp/entry/2017/01/16/135922

学校に行かないことについて
→私と病気と行け行け文科省http://yoco-0531.hatenablog.jp/entry/2016/11/18/192418
→私と「どうして学校に行かないんだ」http://yoco-0531.hatenablog.jp/entry/2016/11/09/042044

 

 

私と病気と通信のススメ

 

1ヶ月で4教科やったら、

任天堂スウィッチとスプラトゥーン2

買ってあげる

 

その言葉がすべてのきっかけだった。

年上の彼のその暴力とも言える経済力により

私のグダグダ通信生ライフは終止符を打った。

 

 

9:30起床

アラーム音は冬の海のスーベニア

起き上がるのに1時間かけるのは譲れない

 

10:30朝食、朝のyoutube

身支度は1日のテンションが関わるので

慎重に慎重に選ぶ

 

12:00出発

12:30図書館到着、勉強スタート

18:00帰宅

(寝るまでにまた1時間半くらい勉強)

23:00夜のニートタイム(主にyoutube)

2:30就寝

 

1日のライフサイクルである

勉強時間は1日約5.6時間だが、この生活は隔週でやってくる。

 

一週目このサイクルで通信生をこなし、

二週目はクソニートで(好きなことして)過ごすのだ

 

結果からいうと、通信生が楽しくなってきた。

ニートの週ももちろん譲れはしないが、

3.4日たてば満足する。

 

通信生のメリットは大きく2つ

時間的制約がないこと

そして、そのすべてが自主的であること。

 

時間的制約は昔から苦手だった。

決められた時間の上でこなす1日はすごくめんどくさかったし、中学生にして飽き飽きしていたのを覚えている。

 

通信生には時間的制約がない。

それはそのまま心の余裕に繋がった。

何時に起きて何時に寝て、何時にご飯を食べて辛い日は休んでも構わない。

その自由さは日々のゆとりそのもので

忙しいけれど心はどこまでも穏やかだった。

心が疲れてしまいやすい私にとってそれは

この上なく重要なことだった。

 

(ただそれは、良くも悪くも、であることを忘れてはいけない)

 

そして勉強行為そのものが自主的であるということ。

 

これは日々の達成感、充実感を並々ならぬものに変えてくれた。

時間も方法も科目も、勉強に関わる全てを自分で決め、こなすことは「してやった」という達成感が普通の大学の数倍強かった。

達成感より罪悪感と仲良しのニートにとってそれは腐った生命を彩るのにとても役に立った。

 

その証拠に図書館での勉強中、私は一度も眠くなったことがない。

大学時代居眠りばかりしていた私が、だ。

 

授業はどうやっても受動的になってしまう。

それが通信では完全能動的、つまり自主的な勉強であるため一ミリも眠くなどならない。

 

「通信だと学力が心配」という考えがある思うが、そんなことはないし、むしろ日本の受動的教育を超えていく教育が通信にはあるように思う。

 

頑張り方を自分で決めることは大切だ

 

どんな形でも、今自分が何をどれだけ頑張っているかを忘れちゃいけないよ

 

仕事をバリバリがんばるのか

大学に通ってがんばるのか

通信でがんばるのか

生きることを頑張るのか

 

うまくいかないときは頑張り方を見直すこと

そしてできるなら、その頑張りを人にわかってもらえる形で表すこと。

涙も頑張りも、人に見られて形になる。

 

 

通信生ライフを確立して気づいたことがある。

人間には「お昼ご飯が必要である」ということ。

 

高校時代は、母親がお弁当を作ってくれた

大学時代は、母親がお昼代をくれていた 

 

「お母さん、勉強の週だけお昼に300円欲しいんやけど」

 

そう交渉した私に

300円でいいの?という母の驚いた顔

大学時代、ランチに500円以上はかけていた頃に比べたらなんて質素な値段

でもそれは自分で通信を選んだからこその制約でもあった。

 

図書館に行く日、母から100円玉を3枚もらう。

 

いつも買うのは野菜ジュース、おにぎり、それとあと一品

1人で食べるお昼は少し寂しいけれど、やっぱり勉強の後のご飯は美味しい。

 

私は母親に

お金を援助してもらえること以上に

その行為に心からのエールを感じている。

 

頑張っていることを知ってもらえている

認めてもらえている、そして背中を押してくれているような気がする。

だから300円を毎日、丁寧に丁寧に使った。

 

大学時代よりも

全ては豊かで、穏やかだ。

 

それ相応の勉強の辛さもあるが、

朝のラッシュに比べたら私はやはりこっちの生活の方があっているのかも知れない。

 

今日はこのへんで

 

 

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通信大学について
→私と通信大学と一般大学の違いhttp://yoco-0531.hatenablog.jp/entry/2017/04/18/042610

 

退学について
→私と病気と「先生へ」http://yoco-0531.hatenablog.jp/entry/2017/03/13/011310

→私と病気と退学届http://yoco-0531.hatenablog.jp/entry/2017/02/20/153906

→私と病気と退学http://yoco-0531.hatenablog.jp/entry/2017/01/16/135922

 

学校に行かないことについて
→私と病気と行け行け文科省http://yoco-0531.hatenablog.jp/entry/2016/11/18/192418

→私と「どうして学校に行かないんだ」http://yoco-0531.hatenablog.jp/entry/2016/11/09/042044



 

 

 

私と病気と向き合う力

 

終わりが怖い

 

お日様の終わりが怖い

うわごとのように繰り返す

こんな夜に1人はいやだと

 

あなたとの終わりが怖い

気づかないうちにまた

あなたを壊してしまうのだろうか

それともそれよりも先に

私が向き合うのに疲れてしまうのだろうか

 

 

向き合うことは、何よりもしんどい

 

 

人と向き合うとは

対面すること、話をすること。

互いに理解を深め求め合うこと

自分の意見を素直に伝えること

「おはよう」と言うこと

涙を見せること

顔を合わせること

嫌だと言うこと

助けてと言うこと

あなたの問いかけに、返事をすること。

 

私たちは向き合うことに

必要以上に体力を使う。

 

それは単に

「向き合うのが苦手な子たち」というだけ

 

それはつまり

「向き合うのに使うエネルギーが大きい子たち」ということ

 

そしてそれは

「ちゃんと人と向き合おうとする強い子たち」

 

鼻から人と向き合う気がない人間は

こんなことになんてならない。

 

ちゃんと向き合わなきゃいけないとわかっているから、こんな風になっちゃうんだよ。

 

だから大丈夫、大丈夫。

 

「ちゃんとできなくても嫌いにならないで」

_____嫌いにならないよ、そのままでもいいよ

 

「ひとりはいやだ」

_____必ずそばで背中をさすってあげるよ

 

「普通に生まれたかった」

_____そうだね、あなたが望んだんじゃないのにね

 

「みんなみたいに上手くできなかった」

_____そうだね、でもその弱さをちゃんと吐き出せたなら、それで十分だよ

 

 

あなたは賢い人だから

終わりの危機を人一倍察知できてしまうね

怖くなってしまうね。

 

あなたは強い人だから

なんでも人と向き合おうとするね。

 

そしてそれができないと、自分を大きく責め立てる。

だけど本当は、全てに向き合おうとしなくていいんだよ。

わかって欲しいと思うし

分かりたいと思うだろう。

だけど、全部やろうとしなくていい

すこしずつ、減らしていけばいい。

 

向き合うことは、義務化しなくていい

向き合うことを、義務化しないで欲しい

 

疲れてる時は

いつもの数倍向き合うことがしんどくて

きっと誰かの声を無視してしまうこともある

向き合えたあと何日も寝込んでしまうこともある

 

そんな自分を責め立てないで

そんな私を憎まないで、厭わないで

 

ちゃんと向き合う、準備をしているの。

 

向き合うチカラはそんなすぐに回復しない

少しずつ、少しずつ回復していくものだから。

 

 

最後に、その手で触れたのはいつだろう

 

向き合うことに疲れると

1人になろうとしてしまう。

それは嫌いになったのではなくて、

向き合うチカラがなくなったから

だから心はほんとはずっと

さみしくて、怖くて、「ひとりはいやだ」。

 

最後に、その手で触れてくれたのはいつですか

 

手を握ってあげましたか
背中をさすってあげましたか
ぎゅっと、抱きしめてあげましたか

 

人の手には、大きな回復力がある

 

 

大丈夫、ちゃんと向き合おうとしてる強い子

でも大丈夫、全てに向き合う必要はないんだから

ずっと強い子でいなくても、いいんだよ

 

弱い自分も、ここにいていいんだよって

抱きしめてあげちゃって

 

向き合えないものは

また明日、じゃなくていい

また今度、でいいんだよ

 

お休みなさい向き合えないあなた

また、今度

 

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私と病気と「死んでしまいたい」

 

死んでしまいたい

という言葉が、あまりにも心地よく

すっとなじんだことに驚いた。

 

ああ私は今、死んでしまいたい。

 

今まで何度か落ちてしまうことはあっても、

死んでしまいたいと思ったことは一度もなかった。けれど今初めて、涙にくれながら私は心から思ってしまった。

 

この未来になんの輝きもない

悲観だらけの人生を早く終わらせてしまいたいのだ。

「どうしてこうなった」から抜け出せない、「こうなったから仕方ない」と思えない

過去への後悔が止まない。

 

お腹が痛い、気持ちが悪い。

寝ているのに世界がくるくる回るほどの目眩がする。

 

ああ私は今、死んでしまいたい。

 

何度も言うとのは構って欲しいからでも

心配して欲しいからでもない。

 

ずっと、言葉にすることをこらえていた。

心の奥底で眠っていた。

それでもそれを言ってはいけない気がしたし、言ってしまうのが怖かった。

だからずっと言葉には出さなかった。

 

しかしどうだろう、言葉にした瞬間に

それはあまりにも心地よく私の胸になじんだ。

 

私は今、死んでしまいたい。

 

抗うより、受け入れてしまったほうが楽だと言うことは、人生をかけて学んできた。

それなのに

知らないうちに、抗っていた。

言葉にすることさえ飲み込んでいた。

 

いったい何に抗っていたのだろうか。

周りの目、自分への戒め、過去の決意。

メンヘラだと思われるのは嫌だったし、

言ってしまったらそのまま本当に死んでしまいそうで怖かった。

だから、言えなかった。

 

だけど「死んでしまいたい」も、立派な感情の1つだった。

 

嬉しい、悲しい、寂しい、苦しい

それらと同じように、「死んでしまいたい」。

 

感情は否定しなくていいだろう

嬉しいことも悲しいことも基本みんな肯定しながら、笑って泣いて怒って、表現しながら生きているのだから。

死んでしまいたいだって、否定しなくていいんだよ

 

「どうしてこうなった」がやまないのなら

「こうなったからしょうがない」で生きればいいと、誰かが教えてくれた。

 

それならば、

「こうなったからしょうがない」なら

「死にたいと思ってしまってもしょうがない」よ

 

不謹慎だとか、生きたくても生きれない人に失礼だとか、そんなことは言われなくてもわかっている。わかっているから、言えなくて辛い。

 

でも生きたいと言う感情が許されて

死んでしまいたいという感情が許されない理由がどこにあろうか。

 

親不孝だからか、

生まれた瞬間に与えられた義務だからか、

産み落とされる許可もとられていないのにか。

 

勝手に押し付けるな。

 

本当におかしいのは

知らないうちに感情が許されなくなってしまっていることだ。

こうであってはいけないと

抗って苦しくなってしまっていたことだ。

死ぬことよりもよっぽど恐ろしい。

 

 

 

肩書きに意味などない

肩書きを言うことに意味がある。

 

「私は、○○です。」

 

言葉にすることは、自分を認めること

胸を張ること、自分を愛すること。

 

受け入れることが難しいなら

言葉にすることから始めたらいい。

独り言でいい、声に出さなくてもいい。

 

私は死んでしまいたい。

私は未来になんの希望もない。

私は未来が怖くて仕方ない。

私は私が嫌いだ。

私は病気かもしれない。

私は異常かもしれない。

私はもう疲れてしまった。

私はもう、死んでしまいたい。

 

虚勢みたいに思えてしまってもいいよ。

 

私はまだ諦めたくない。

私は大学を卒業したい。

私は幸せになりたい。

私は普通になりたい。

私は、死にたくはない。

 

声をおしころさないで。

 

生きる権利は、主張する権利。

 

 

声に出すことは、

自分を認める決意、その準備

世界が変わる大きな大きな一歩

 

それならば

 

深く深呼吸をして

肩の力を抜いて

好きな声色で、大きさで、方法で

主張しろ。

 

 

私はね

「私は今、死んでしまいたい。」

 

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photo by yuri

 

 

私と病気と手放すこと

 

この日を

この夏を

一生忘れないなんていうけれど

本当に一生忘れないのは幸福の記憶でなく

悲しみの記憶だ。

 

 

順調に見えていた日々が一瞬で闇に飲み込まれてしまうのは、そんな記憶が根強く残っているから

 

いま私が大切にしている人が、

あの時の彼となんとなく重なれば

悲しい記憶は一瞬にしておせてくる。

 

なんとなく連絡が減った

少しずつ、距離をとられた

それでも彼が私を決定的に手放さなかったのは

私が放った言葉のせい。

「あなたと別れたら私、絶対また悪化するだろうな」冗談交じりに笑って言った

絶対言ってはいけないことを言った

 

それでもそれは心の底からの本心で

たぶん逃れようのない真実だった

だから私は思わずこぼしてしまった

 

その言葉に縛られた彼は突き放すこともできず

私の呪縛に苦しめられた

 

最後まで愛していた

それでも、終わりにするのは私だった。

 

言葉通り、私の病気は悪化した

たんにそれは心への負担、環境の変化

でもそれは、どうしよもないくらいに悲しかった。

一緒に戦うと言ってくれたことを

心から信じていた。

 

幸せな記憶もちゃんとある

彼は私をちゃんと愛してくれていた。

 

それでも不幸はそれに勝てはしないのだ。

 

 

友から不意にはいったメッセージには

「卒業旅行どこいく?」という文字

 

ああ、もうそんな時期なのか

一緒に行きたいな

素直にそう思えたのは幸せな記憶のたまもの

 

でもすぐに

「どうしてこうなってしまったんだろう」と

思ってしまったのは悲しい記憶のたまものだ。

 

ひとりぼっちの卒業式

卒業証書も胸の花も、綺麗な朱色の袴も

友の声も、別れの涙もありはしない

 

私以外の誰かが望んだ卒業式。

中退という剥がしようもないレッテルだけが

大きく背中に貼られた日。

 

長い年月が

たくさんの思いが

薄い紙切れ一枚で、終わってしまった日

 

最後まで悔しかった

それでも、終わりにするのは私からだった。

 

奪われる方がまだマシだった

最後を決めるのはこの上なく辛かった

 

いくら上書きせども

きっと悲しい記憶は、いつまでも幸せな記憶に勝てないのだ。

 

この日を一生忘れないだとか

この夏を一生忘れないだとか

きみはきらきらした写真に残すけれど

きっといつか忘れるさ。

ぼんやりした曖昧な輪郭になって、自由勝手に美化しちゃって。

幸福な記憶は、悲しみの記憶にかてない。

 

それでも私は知っているのだ

手放さなければ次を得ることはできないということ。

さぁだからほら、泣きながら歯を食いしばりながら、手放す決断を、自分の手で。

 

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photo by yuri

 

 

 

 

私と病気とさよなら白野よこ

 

ここ最近「白野よこ」から離れていました。

 

それは自分の中で初めて写真が天秤にかけられ

そして負けてしまったこと。

 

悲しいことのように感じたけれど

それは卒業に近い感覚でした。

 

写真は、あの頃の私に許された唯一の美しさで優しさだった。

怖い夢を見る日々に、色を失った日常に

仄かな明かりを灯してくれた。

「世界は思ったより美しい」忘れていた真実を教えてくれた。

ファインダー越しに見る世界はいくらか楽で

その青や光の線、曖昧な輪郭のまあるい光に

私は感動に似た嬉しさを覚えた。

私と、この子と、そしてあなた。

ずっと3人で入れたらいいななんて笑うくらい

私にとってカメラは命綱であったように思う。

 

そんな写真が、私の元から離れて2ヶ月たった。最初はそれこそひどく動揺したが、

よく考えたらそれは単に

必要がなくなったことだった。

 

ファインダーを通さずとも、わたしの世界は

もうずいぶんと美しい。

美しいのだ。

 

写真は世界を120%の美しさで写せると思っている。それは技術だけでなくきっと心情もなるからだと思う。

 

今の私の世界は100%だ。

汚くもあり、美しくもあり

世界のちょうど真ん中のところを見ている。

 

100%の世界は写真で写すことより

残す事の方がよっぽどあっていた。

あ、綺麗

そう思っては手に持っていたiphoneで切り取る

そうしてきっとこれが、私がずっと欲しかった日常だと

切り取るたびに心から思う。

 

私はずっと、見つめてきた。

汚いどん底も、眩しすぎる光も

この瞳でずっと、見つめてきた。

 

布団にくるまって朝を待った。

最低だって泣き叫んで飛び出した。

消えてしまいたいと両腕を握った。

血が滲むほど歯を食いしばった。

 

そうやって、生きてきた。

 

そこで手に入れた「白野よこ」は

とても周りに恵まれた人間になった。

 

一緒に泣いてくれた。

あなたが好きよと言ってくれた。

世界の色を、匂いを、温度を教えてくれた。

私の言葉、写真を愛してくれた。

 

そうして私は

生きながらえてきた。

 

その数年は夢のようで

とても長い歳月が経ってしまったようにも思う。

 

今はもうはっきりと思い出せず

ただたまに、あの写真にどっぷり浸かっていた

感覚を、日の木漏れ日を見たりしては思い出し懐かしくなる。

 

今の私には綴れる言葉も

写せる写真もほんの僅かだ。

 

自分のために生きられず

人のためにだけ生きることを選んだ私が

 

今はもう、私の幸福のために生きたいと思ってしまった。

 

それでも、忘れたくないことがある。

それがこの「瞳」で、ずっと見てきたこと。

 

憎悪も悲しみも悔しさも

私は忘れっこないし

それでいいと思うし、そうであり続けたい。

 

あの頃ずっと、何処かへ行きたいと思っていた

ここでない、何処かへ。

 

でも今はもうそんな妙なことはこれっぽっちも思わない。

私は、ここでいい。

 

 

私が写真を撮らなくなったわけ。

それはあまりにも簡単で、朗らかだ。

 

撮らなくても、もう大丈夫になったから。

 

 

先日母が入院し家庭環境が傾いた。

 

環境の変化はじわじわと私の心と体を蝕み

久しぶりに眠れずに朝を迎えた。

 

それでもそんな私の頭を撫でてくれる人がいる。

何も聞かず、大丈夫となんども優しい声で呟いた。

涙は止まらなかったけど、嬉しかった。

子供みたいに胸に顔をぎゅっと押し当ててわんわん泣いた。

本当に、嬉しかった。

 

 

「瞳」

 

母と父が私に与えてくれたもの。

その名前。

その優しさ。

その強さ。

 

写真は今の私には必要ない。

この瞳で、ただ見つめるのだ。

100%の真実が今の私の生きる世界。

 

またいつか、必要になったら

シャッターを切ればいい。

 

それでいい。

 

今日はこのへんで

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私と病気と夏合宿

 

東京駅から

始めての上越新幹線

 

光がたくさん入る車内で

聞きすぎた空調に窓を眺めながら

音楽を聴いている

 

高校の部活の夏合宿に参加することを決めたのは5月の半ば、まだ新緑がしげるころのこと

 

それまで頑張ってきたバドミントン

続けるということは、チャンスをもたらしてくれるということだと思った。

 

正直、怖かった。

行き帰りのバスはならないから、1人で新幹線

 

それでも体力的にも精神的にも

きっとしんどいこともある

そもそも旅行は私にとってまだまだハードルが高くて。

 

出発2日前は怖くて怖くて

涙を流して発作に耐えた

 

それでも今の私ならできると

うっすらとした自信があったから

夏合宿への、参加を決めた。

 

東京駅

始めての上越新幹線

 

やってきたチャンス

怖さに負けずに掴んだチャンス

 

よく頑張ったね、私

ここまでこれたこと、もうそれだけで十分だ

 

手に入れるために傷つきにいくのは

この上なく怖いことだろうに

 

それでも痛みに耐えた

恐怖と戦った

 

君はもう、大丈夫だよ

 

だからほら、いっておいで

 

自由に羽ばたいておいで

 

 

夏の強い強い日差し

溶けきった氷

流れ落ちる汗

響く声

 

この夏どうなるだろうね

今ある目の前を全力で信じてみるよ

 

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