よこと病気と○○と

1人の人間として、ありのままをツラツラと。お布団と社会の間から

私と病気と生きてきた事

 

 

2日前

 

私は半年ぶりに、電車に乗れました。

 

 

 

なんとなく、ノリと勢いでパスモを買って

どうせ乗れないんだろうなと思いながら

改札をくぐりました。

 

改札をくぐれば、そこは異世界で

心音が意識と関係なく、大きくなってゆく

 

 

そして電車を2本見送った後

 

 

私は3駅の乗車に、成功しました。

 

 

 

乗れない人からしたら

「どうやったの?」って思うだろうけど

答えられるのは、1つだけ

 

 

「めちゃくちゃ、頑張ったんだよ」

 

 

予期不安は死への不安

 

つまり私が電車に乗ろうとする行為は

みんなにとっては

自ら毒を飲み込むような恐怖と同じです

 

自ら何度も死を、選びに行くのです。

 

 

駅のホームが私にはこう見えます

 

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そこはまるで死への入り口で

早くおいでと冷たい悪魔にて招かれているよう

 

 

だけど乗ってみると案外大丈夫で

死ぬことは、ないのです。

当たり前のことだけど、私たちはそれを知らないのです。

 

それでも「万が一」死ぬかもしれない恐怖がつきまとい、3駅の間は震えが止まらず

呼吸もまともにできません。

 

 

それでも私は、確かな3駅を乗りました。

 

 

 

 

そして私は、今日また、電車に乗りました。

 

あの乗れたという感覚を忘れないうちに

今が勝負の時だと思ったんです。

 

 

最寄りから、終点まで乗れました。

 

 

行きは少し苦しくて

でも、前回ほどではなくて

 

一度降りてしまったけれど

次の電車に再乗車できました。

 

帰りには、座ることができました。

通常恐怖でドアの前に立ってすぐ降りられる状態にしたがるけれど、

座ることが、できました。

 

 

恐怖はほとんど、ありませんでした。

 

 

 

 

 

行きの電車の中

立っている間

電車の窓からの景色をぼうっと眺めていた

 

すぐ下に見えた通い慣れた車道に

必死に自転車をこぐ、

小さな私が見えた気がした。

 

涙が、こぼれてしまった。

駅のホーム必死に涙をぬぐった。

 

 

 

 

どんな時もさぁ、

 

歯あ食いしばって生きてきたんだ。

 

 

 

自転車を漕いでる時に見えた

電車に乗れなくなって降りてしまって

知らない道を泣きながら歩いて帰った私も

 

自転車に乗って必死に世界切り開こうととする私も

 

 

 

 全部全部全部

 

 

 

歯あ食いしばって、

 

生きてきたんだよ。

 

 

 

そんな過去もそして今も

こうして必死に生きている、自分が

一番好きだ。

 

 

 

 

今まで散々見下されてきた


病気のせいだとあてつけられてきた


最低野郎と罵られてきた


支えられないと手放されてきた

 

甘ったれと批判を受けきた

 


そんな人たちを


全員


ひとり残らず


見返してやるんだ。

 

 

 

憎しみ、かもしれない


それでも、

 

憎しみだって立派な、生きる力でしょう?

 

 

 

 

 完治なんて程遠い

もしかしたら一生付き合うかもしれない病気だ

 

 

それでも

 

血がにじむほどの努力と
数え切れないの勇気と
少しの憎しみと

 

私は、生きていく。

 

 

 

自分のために生きられなくなったその時は

 

誰かのために、生きていく。

 

 

 

そうして、いつの日か。

 

 

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photo by noa