よこと病気と○○と

1人の人間として、ありのままをツラツラと。お布団と社会の間から

私と病気と怖いこと

 

 

理解しようとしてくれる

 

その行為は、たまらなく嬉しくて

同時に、たまらなく怖いものだ。

 

 

最近よこのブログ全巻読破するという

ツワモノがぽちぽちとでてきていて

なんかもう感謝を通り超してバカだなあと思います笑(超失礼

 

それはどうやら

単に面白いからという理由と

私のことを理解しようとしている理由とから

できてるようで

 

 

それはすごくすごく、嬉しいことです。

 

 

こんな拙い言葉を

読みほどいて、大切な時間をあててくれて

感謝しかないです。

 

「隠さずにいることが、すごく立派に見える」

なんて、大それた言葉をもらったりもするけど

 

違うよ。

 

自信なんて僅かたりともなくて

本当は、怖がってばかりだ。

 

 

もしもあなたが

理解しようと、このブログを読んだ結果

 

「ごめんやっぱり、理解しきれない」

 

そう、言ってきたら、私

 

 

私。

 

 

想像しては

恐怖に飲まれてしまいそうになる

 

だって今までにそんな人を実際に

幾人も、見てきてしまったから。

 

理解されないことが当たり前のことだと

仕方こないことだと

頭ではいくらでも理解してるけど

 

だけど

一度理解しようとしてくれたあなたは

私にとってすでに

かけがえのない、あなたになっていて

 

その存在が大切であればあるほど

理解してもらえないというのは

心がつぶれるほどに、ひどく苦しく、悲しくて。

 

怖いよ。

 

あなたを失うくらいなら

私、病なんて隠すから。

あなたの前では元気でいるから。

 

だからどうか、

そんな顔、しないで。

嫌いに、ならないで。

  

そうして信じては裏切られて、

傷ついてを繰り返すうちに

心はひどく、傷んでしまって。

 

理解する自信がないのなら

どうか初めから、関わらないで下さい。

上辺だけで、付き合っていて下さい。

  

そんなことを思い

1人になろうとした時も少なからず、あって。

だけどそれが自分を守るだけで、なに一つ向き合えていない事にもちゃんと気づいたから。

 

 

理解されないのが、当たり前で

理解してもらえるのは、奇跡だ。

 

 

そして理解されなくても

その関係は0になるわけでも-になるわけでもない。

なら私は、その数ミリの奇跡にかけたいと思った。

 

知られることは、深く、怖い。

 

怖いです。

 

だけど、怖がって隠してばかりいては

その数ミリの奇跡にいるあなたをきっと見逃してしまうから。

 

そしてその数ミリの奇跡は、世界に案外たくさん溢れているから。

 

 

 

きっとね、本当に難しいのは

理解するということ以上に

その人を支えていくということだと思う。

 

私は恋人に、甘えてしまう人で。

助けて欲しいと思ってしまう。

 

でも

いくら「支える」と微笑んだあなただったとしてもさ

 

 

眠れない夜に、

間違いなく私は、1人だった。

 

 

ああ、結局、そういうことか。

綺麗事で溢れてるよね

 

 

支えるってなんでしょう

 

最後に

「ごめん、もう支えきれない」と

離れていった人たちはさ

 

もし、将来誰かと一緒になった時

その大切な誰かが急に病に伏してしまった時も

同じように「ごめん、もう支えきれない」と

手放していくのでしょうか。

 

 

本当に理解し、支えるということは

 

その人の当たり前が自分の当たり前になること

 

ではないのかな。

 

 

 いつだって

嬉しさと怖さの

 

希望と失望の

 

ハーフアンドハーフ

 

 

ただ私にできることは

 

逃げずに向き合い続けること

そして

どうかと、心から祈ること。

 

 

ねぇ、どうか

 

わかってよ。

 

わかってよ。

 

わかってよ。

 

 

 

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