よこと病気と○○と

1人の人間として、ありのままをツラツラと。お布団と社会の間から

私と病気と帰れなくなった話

 

仕事でもないのにこんな時間に目を覚まし

コメダで、モーニングを、食べています。

 

 

どうしてこんなことになったのか

 

昨晩、

私は仕事が終わって明日から休みという開放感に包まれなが友達とご飯を食べて

 

終電ギリギリに電車に乗ったら乗る方向を間違え

てんぱった私は軽く発作を起こし

電車をおりてしまい終電をのがし

見知らぬ地で1人、ポツンとなってしまって

 

それから近くのネカフェに逃げ込み

朝からの二日連勤でくたくたになった

体をマットに放り出して

 

寒い中、浅い眠りをつらつら続け

気づけば朝で

ラッシュをずらせるように少し遅めにネカフェを出て朝食を取っている

 

 

周りの人からしたら、きっと

たわいない一瞬

些細な失敗

 

でも私には、ここ数日のことが奇跡のように

思えてしかたないのです。

 

浅い眠りを続けたせいもあって

ここ数日が夢であったのではないか、

そう思うほどに奇跡でした。

 

 

普通以上の普通

それがそこら一面にあって

 

朝9時に起きて19時まで働くを

二日連続続けられたことも

 

終電ギリギリまで

友達と外でご飯を食べれることも

 

発作を起こしても悲観も焦燥もなく

ちゃんと夜を越せたことも

(家に帰れない事は最大のパニックで

病気中は友達の家にお泊まりや旅行さえいけなかった)

 

朝日を、浴びたことも

モーニングを食べれることも

 

昔の私だったら、すべて

考えられないことだった。

 

今あげたどれも、私の身の丈にはあわなくて

恐怖や苦痛で、とてもこなすことなんてできなかった。

 

 

朝、店を出て見えたもの

 

十字路、それから線路に差し込む光

 

制服の子が待つ信号機

 

スーツのおじさんが軽やかに叩くキーボード

 

朝の、たいよう

 

 

私はそれらを見て、ひどく安心したのです

「ああ、私がいなくても世界は回るんだ」

 

当たり前のことが
悲しみや苦しみでもない違う形で私の中に
優しく積もりました。

 

 

ネカフェという小さな一室は
異空間のように思います。

 

人の差配はあるのに、この上なく孤独に感じて
光はあれど、それは全部人工物で
生きる上で最低限のものはあるのに、満ち足りない

そこは世界ではない、

別のどこかのような気がしたのです。

 

 

社会にいない時もたしか

私は同じことを思いました。

「私が、いなくても」

 

だけどあろうことか、悲しみに似たそれは

社会にでても思ったのです

 

社会に存在していたとしても

あなたが世界にいなくても社会はまわる

 

社会に存在があることないことは、

あなたの必要性とは、関係なかったのです

 

 

社会の居場所の有無=人としての必要性

 

そんな方程式が

私の中に静かに、かつ堂々とそこに横たわっていたことが恐ろしくなりました。

 

私はそんな方程式は社会が作り上げた

虚無の1つだったと知り

きっと心から安心したのです。

 

 

どんなあなたも、必要だった

 

クソニートのあなたも

働くあなたも

 

社会に居場所がない苦しみは

本当に終わりがなく計り知れないけれど

それに囚われて、間違わないでいて

 

社会に居場所があったって、なくったって

あなたがいなくても世界は回る

 

 

社会に居場所がないことは

あなたが必要ないことではないよ。

 

安心していいよ

だっていてもいなくても世界が回るなら

あなたが頑張る必要なんてないもの

 

適当で大丈夫だよ

 

だって本当は誰より感じてるもんね

このままでいいなんて思ってないって

 

 

帰り道

携帯が光る

 

現状を曖昧に綴ったままでいたから

心配の通知たちが届く

 

家族から、そして友達から

 

心配かけてごめんなさい。

そして、ありがとう。

 

 

私の必要性は

 

きっと、ここに

 

 

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