よこと病気と○○と

1人の人間として、ありのままをツラツラと。お布団と社会の間から

私と病気と「死んでしまいたい」

 

死んでしまいたい

という言葉が、あまりにも心地よく

すっとなじんだことに驚いた。

 

ああ私は今、死んでしまいたい。

 

今まで何度か落ちてしまうことはあっても、

死んでしまいたいと思ったことは一度もなかった。けれど今初めて、涙にくれながら私は心から思ってしまった。

 

この未来になんの輝きもない

悲観だらけの人生を早く終わらせてしまいたいのだ。

「どうしてこうなった」から抜け出せない、「こうなったから仕方ない」と思えない

過去への後悔が止まない。

 

お腹が痛い、気持ちが悪い。

寝ているのに世界がくるくる回るほどの目眩がする。

 

ああ私は今、死んでしまいたい。

 

何度も言うとのは構って欲しいからでも

心配して欲しいからでもない。

 

ずっと、言葉にすることをこらえていた。

心の奥底で眠っていた。

それでもそれを言ってはいけない気がしたし、言ってしまうのが怖かった。

だからずっと言葉には出さなかった。

 

しかしどうだろう、言葉にした瞬間に

それはあまりにも心地よく私の胸になじんだ。

 

私は今、死んでしまいたい。

 

抗うより、受け入れてしまったほうが楽だと言うことは、人生をかけて学んできた。

それなのに

知らないうちに、抗っていた。

言葉にすることさえ飲み込んでいた。

 

いったい何に抗っていたのだろうか。

周りの目、自分への戒め、過去の決意。

メンヘラだと思われるのは嫌だったし、

言ってしまったらそのまま本当に死んでしまいそうで怖かった。

だから、言えなかった。

 

だけど「死んでしまいたい」も、立派な感情の1つだった。

 

嬉しい、悲しい、寂しい、苦しい

それらと同じように、「死んでしまいたい」。

 

感情は否定しなくていいだろう

嬉しいことも悲しいことも基本みんな肯定しながら、笑って泣いて怒って、表現しながら生きているのだから。

死んでしまいたいだって、否定しなくていいんだよ

 

「どうしてこうなった」がやまないのなら

「こうなったからしょうがない」で生きればいいと、誰かが教えてくれた。

 

それならば、

「こうなったからしょうがない」なら

「死にたいと思ってしまってもしょうがない」よ

 

不謹慎だとか、生きたくても生きれない人に失礼だとか、そんなことは言われなくてもわかっている。わかっているから、言えなくて辛い。

 

でも生きたいと言う感情が許されて

死んでしまいたいという感情が許されない理由がどこにあろうか。

 

親不孝だからか、

生まれた瞬間に与えられた義務だからか、

産み落とされる許可もとられていないのにか。

 

勝手に押し付けるな。

 

本当におかしいのは

知らないうちに感情が許されなくなってしまっていることだ。

こうであってはいけないと

抗って苦しくなってしまっていたことだ。

死ぬことよりもよっぽど恐ろしい。

 

 

 

肩書きに意味などない

肩書きを言うことに意味がある。

 

「私は、○○です。」

 

言葉にすることは、自分を認めること

胸を張ること、自分を愛すること。

 

受け入れることが難しいなら

言葉にすることから始めたらいい。

独り言でいい、声に出さなくてもいい。

 

私は死んでしまいたい。

私は未来になんの希望もない。

私は未来が怖くて仕方ない。

私は私が嫌いだ。

私は病気かもしれない。

私は異常かもしれない。

私はもう疲れてしまった。

私はもう、死んでしまいたい。

 

虚勢みたいに思えてしまってもいいよ。

 

私はまだ諦めたくない。

私は大学を卒業したい。

私は幸せになりたい。

私は普通になりたい。

私は、死にたくはない。

 

声をおしころさないで。

 

生きる権利は、主張する権利。

 

 

声に出すことは、

自分を認める決意、その準備

世界が変わる大きな大きな一歩

 

それならば

 

深く深呼吸をして

肩の力を抜いて

好きな声色で、大きさで、方法で

主張しろ。

 

 

私はね

「私は今、死んでしまいたい。」

 

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photo by yuri