よこと病気と○○と

1人の人間として、ありのままをツラツラと。お布団と社会の間から

私と病気と手枷足枷

 

「向き合うこと」

「誰かと共にすること」

 

とても精神を使う2つのことだと思います。

 

問題が起こった時、

見て見ぬ振りをする方が楽にうまく切り抜けられる。

きちんと向き合うのは、力を使う。

 

悲しみは一人だけなら耐えられるけれど

誰かを巻き込むとなると途端に耐えられなくなってしまう。

 

病は、

この2つと常に一緒にあらなくてはいけません

 

病を治すために

見て見ぬふりなんて許されないから

いつも心をすり減らして向き合い続ける。

それでも普通の人は見て見ないふりがすごく上手くて、そんな人が羨ましくて、

ときどき妬ましい。

 

病を一人で戦うには

あまりにも心もとなくて

誰かと助けを求める。

 

助けを求めるくせに、いざ差し出された手を

素直に握れないのは

自分がまるで蟻地獄の真ん中から手を突き出しているように思えるから。

 

この人を、巻き込んではいけないと

涙が溢れては、言葉が喉に詰まって行く

 

病と向き合い始めて5年が経ちます。

世界は確実に広がっていて

私は「欲すること」をつい最近思い出しました。

 

やりたいこと、会いたい人、行きたい場所

 

学習性無力感というものがあって

人は痛みにさらされ続けると、その痛みから流れるということを諦めて

耐えるということを学んでしまうそうです。

 

何かを欲することもまた、同じなんだろうと思いました。

 

奪われ続けた人間は

欲することをやめ、

諦めるということを学んでしまうだろうと。

 

だから私にとって欲するということを思い出せたのは、とても重要なことでした。

 

それでも今私は

自分の醜さにどうやら耐えかねて

欲することを猛烈に手放したい

 

病と向き合うのに疲れ

誰かを巻き込むことに絶望し

 

私が欲を出さなければ

こんなに向き合って、なんとか乗り越えようと

思うこともないのだと

 

私が欲を出さなければ

こんなに大切な人を巻き込んで、一緒に地中へ引きずりこむこともないのだと

 

全てを投げ出してしまいたい。

消えてしまいたい。

 

お願いだからどうか、自由をくれよ

 

卒業旅行に行かせてくれ

好きなだけ好きなところで働かせてくれ

大切な人を守れるだけの財力をつけさせてくれ

親に心配をかけないだけの身体をくれ

家を出れる自立力をくれ

毎朝軽やかに起き上がれる身体をくれ

どんな乗り物にでも乗れる身体をくれ

 

 

世界は確実に開けているのに

 

あと一歩じゃないか

 

あと少しじゃないか

 

足枷も手枷もついたままでいいから

あと少し、ほんの少し、

伸ばしてくれよ。

 

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