よこと病気と○○と

1人の人間として、ありのままをツラツラと。お布団と社会の間から

私と病気と三年生終了

 

復学を決めて1年半

退学届を握りしめて1年

そして

通信大学へ願書を出して1年

 

本日ようやく

通信制1年目が、終了しました。

 

世間のレールに沿って

小学校から高校へ進学する中で

私はそこになんの疑問も、責任も、

持っていませんでした。

 

通信大学へ行く決意は

自ら世間のレールを離れる決意。

そこにはたくさんの心配からくる批判も

負け組や残念な子というレッテルも

見たくないものがたくさんありました。

 

その視線で

初対面の人や友達との会話では

言葉を濁すことも何度もありました。

 

それでも

ここで負けることは、病に負けることを意味するように思えて。

私はひたすら一生懸命に机に向かいました。

 

普通の大学とは比べものにならないくらい

教科書の量を読み、

何万文字のノートをとりました。

 

もう誰にも、文句なんて言わせない。

心配なんて、させたくなかった。

 

復学を決めたものの

たったの1ヶ月で通えなくなった三年生。

屋上で一人肩をすくめて泣いていた

とてもとても弱い私は

ずっと心の中でまだかまりとして残っていました。

 

母は退学届を出しに行く日

玄関で私の背中をさすりました。

いつでも帰ってきていいと、背中を優しく

撫でました。

 

嬉しかったけど、悔しかった、本当に。

 

心配や同情の言葉なんかより
言って欲しかった。
あなたなら大丈夫よ、と
信じて欲しかった。

 

でも、ほら、見てよ。

私にもできたでしょう?

 

自分で決めたことを、自分の力で

やり遂げる力が、私にもちゃんとあったの

 

 

 

 

「適応」とは、誰が決めることでしょうか。

 

通えない学校に、通えるようになることだけが

適応なのでしょうか。

 

社会に出た父親からみれば

寝坊も、不登校も、一人が楽なことも

そんなんでは社会に適応できないと焦り

 

頭の中にできない部下の姿を思い浮かべては

そんな大人になって欲しくはないと

それぞれの正しい「適応」をおしつけようとする。

 

それは親だけでなく、教師が、そして世間そのものが。

私たちに無意識に押し付けてくるものです。

 

 

子どもだからと、委ねすぎるなよ。

子どもだからと、あまりなめていないでよ。 

 

こんな体にも、魅力に感じてよ。

 

弱いふりして弱いものにはできないこと

しちゃうつもりなんだから。

 

私は私の意思で

自分の行く道を決めるよ

 

 

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