よこと病気と○○と

1人の人間として、ありのままをツラツラと。お布団と社会の間から

私と病気とヘルプマーク

先週の土日、

初めて通信大のスクーリングに参加しました。

 

朝10時から夕方5時まで

遠く離れた西東京市

 

電車に乗れないことを恐れた私は

二泊三日を、一人で、見知らぬ土地で過ごしました。

 

帰ってきた私はしばらくの間

「もう行きたくない」とぎゃんぎゃん泣き喚き、次の土日スクーリングのホテルを取ることを諦めました。

 

母には「じゃあなに、来週はそれでいかないつもりなの」ときつい言葉をなげられ

私はただ一言「そんな風に言わなくてもいいじゃん」と涙声で応えました。

 

お母さん、私はそんな言葉より先に

頑張ったねって言って欲しかった

そしてあわよくば

行かなくてもいいよと言って欲しかったの。

 

そうは言ってもこんなところで

夢を諦められない私は最終手段にでました。

 

それがこれ

「ヘルプマーク」です。

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みなさん知ってますか、ヘルプマーク

知らなくてもこの色とマークからかなり

緊急性があることは通じるのではないかと思います。

 

基本的には

目に見えない障害がある人を

周りのみんながみつけやすくするためのマークって感じだと思います。

 

このヘルプマーク東京都発らしく、

まだ全国区じゃないらしいんです。

東京に住んでるからかわからないですが、

当たり前のことを過ぎてかなりびっくりしました。

 

私も今まで存在は知っていたけれど

怖くてつけようとも思わなかったです。

 

それをつけることは

やはりどうしたって自分が「健常者」ではないと認めることでした。

 

それでも、それを乗り越えてでも

今回ばかりは少しだけ

みんなの力を貸して欲しいと思ってしまったのです。

 

私は電車に乗れなくなり、普通の大学を諦め、中退の道を余儀なくされました。

 

それでもどうにが学位を取りたくて、

通信大に編入しましたが、そこでもやはり

すこしの通学がなければ学位がとれないのです。

 

だから

この日、この電車、一本だけ、

どうかすこしだけ、優しさを借して欲しかった。

すこしだけ優先的に、席に座わることを許して欲しかった。

 

私の症状はだいぶ落ち着いていますが

体調が悪い時や人ごみがすごい時はまだ電車にうまく乗れません。

ただその時席に座っていれば、かなり楽になれるのです。

 

そんな思いで私は今回

このマークをつけることに決めました。

 

 

ヘルプマークをつける意味は

人によってもかなり違うと思います。

 

裏面には一言かけるようになっているので、

倒れやすい人は連絡先や応急処置の仕方を

書いておくこともできますから、

命のお守りのような思いでつけている人もいます。

 

私のように目に見えない障害があって

すこしだけ力を貸して欲しいという願いで

つけてる人もいますし、

 

この日この電車だけと決めて

日中ずっとつけてるわけではない人も多いと思います。

 

また目に見える障害であっても

あえて率先してヘルプマークをつけることで、このマークの認知度を上げようとしてくださってる人もいます。

 

 

ただ1つ共通して言えることは

「労われよ、席を譲れよ」

そんな気持ちでつけてる人はいないということです。

そして、いてはいけないということです。

 

みんなたぶん、ほんの少しだけ

力を貸して欲しいんです。

 

そして私たちは絶対にこんなの事を言ってはいけません。

 

「このマークつけてるのに目の前で寝てる親父がいる、まじむかつく、健常者はいいよな、普通に働けて、私にはできないのにな、いいご身分だ」

 

気持ちは、痛いほどわかります。

それでも、私たちが心から望むのは

健常者と障害者が平等な世界なのに、

 

どうして「健常者様」に成り立たせるの

 

どうして「障がい者様」に成ろうとするの

 

それでは一生、平等になんてなれないじゃない。

 

 

「席を譲らなければいけない」なんていう

強制力なんてもたないで欲しい

 

人がみんな誰かの助け無しでは生きられないように、ほんの些細なものであって欲しい

 

ただただ小さな精一杯の、助けてでありたいです。

 

 

「あんなマークつけて、障がい者気取りですか、いいよねー、私もつけようかな、席座りたいし」

 

悲しすぎる偏見の目は尽きないと思います。

私もこのマークをつける事で

もしかしたら深く傷つくことがあるのかもしれないです。

それはひどく、

 

ひどく、怖いです。

 

それでも、胸を張らなければいけないのです。

それでも、相手を傷つけるようなことを仕返してはなにも始まらないのです。

 

 

障がいの重さや種類は、人それぞれです。

私は自分の障害は比較的軽度だと思っています。

だからこそ、つけるのにとても抵抗がありました。

 

でも他にも同じように思っている人は多いと思います。

「こんな程度の私がつけていいのか」と。

そして周りも思うのではないかと思います

「本当に障がいなの?ただのメンヘラじゃないの?」と。

 

でもそれでつける事を諦め、

1人で戦う人が増えてしまうのは

あまりにも、悲しすぎるから。

 

メンヘラだったとしても、

痛みを知ってる人は絶対に誰かを傷つけないから。

間違ってもふざけてマークをつけるなんてことは100ありえないことだから。

 

 

優先席は

優しさが先にくると書きます。

 

その主体は私たち当事者じゃなく、

周りの人達の優しさにあります。

 

どうか私たちの進む先に

周りの些細な優しさが先に溢れていれば

嬉しいなあと思います。

 

 

今日はこのへんで

 

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photo by noa