よこと病気と○○と

1人の人間として、ありのままをツラツラと。お布団と社会の間から

私と病気と結婚できない

 

私はずっと、彼の母親に嫌われていました。

 

理由は「障害もちだから」

 

始まりは昨年の夏のことでした。

ひどく暑い夏で、私はスクーリングのために

西東京にいました。

三鷹の駅は北と南にそれぞれ伸びていて

見知らぬ土地でひとり、

タバコの匂いがこびりついた安いホテルに宿泊しておりました。

 

学校も終え、これからホテルに戻るという道中

彼から一本の電話がありました。

 

「ごめん、一緒に住む予定の部屋、キャンセルさせてほしい」

 

私は一瞬何を言っているのかわかりませんでした。その時私たちは付き合って一年を迎え、それを機に一緒に住むことになっていたのです。

それは部屋も決まり、明日すべての書類が承諾される、ちょうどそういう日の前日のことでした。

 

私は泣きながら嫌だと言いました。

三鷹の高い駅からは山が見え、日が赤く赤く

沈んでゆきます。

しかし彼は無理だといいました。

「ごめん、母親が許してくれない」

 

彼女に初めて会ったのはその年の5月

私の23歳の誕生日の頃でした。

一緒にご飯でも行きませんかと誘い

初めて3人でご飯を食べました。

その時は特に何もなく、これからこの人たちと家族になるのかなと嬉しくも不思議に思っておりました。

 

そんな彼女が急に

本当に急に、私たちの同棲を止めました。

理由はもう、その時その時で言っていることが違かったので、本当のことはわかりません。

 

ただその時は電話越しに聞こえる彼の声が

三鷹と私たちの住む家が

やけに遠く感じました。

早く彼のいる家に帰りたかったことだけを

強く覚えています。

 

同棲をリタイアしてからこの1年間

私はずっとずっと、嫌われておりました。

 

彼女とはそれ以来、直接お会いしていません。

ただ彼と彼女が電話しているのを

遠くの椅子にすわり何度か聞いていました。

 

電波に乗せられた老いた女性の

その不気味な声が

受話器の向こうでヒステリックに叫んでおりました。

 

「あの子は普通じゃない」

「あの子はおかしい」

「恥を知れ」

 

どれも、私には遠い国の言葉に聞こえました。

 

どうしてだろうか。

どうして私はこんなにも、よく知りもしないこの女性に

ここまでの敵意を向けられているのだろうか。

 

はじめはそのように、どちらかというと

彼女への怒りの感情が強かったように思います。

 

しかし月日を重ねるごとに

私の心は確実にすり減ってゆきました。

 

遂には彼女の反対は

私たちが付き合っていることにまで及びました。

 

そして彼とは、明らかに喧嘩がふえました。

 

見たことも聞いたこともない形相で

怒る彼を初めて見た時は、

自分はとんでもないことをしてしまったと

すぐに泣き出しました。

彼はごめんごめんと謝っていたような気がします。

 

そんな風にして、なんとかなんでもないふりを

しつづけておりました。

 

そして今年の5月

どうせ来ないとは知っていましたが

再度彼女をご飯に誘いました。

 

御察しの通り「行きたくない」と

スパンと断られました。

ああ、そうですよねと思っておりましたが

ふいに「ぷつり。」と、なにかが途切れる音がいたしました。

 

そうです、私の心は遂に限界を迎えてしまったのです。

 

 

彼の家の壁には、

ウエディングジュエリーの小さな紙袋が

大事そうにかかっております。

深い青のリボンに純白の紙包み

 

中に入っているのは婚約指輪です。

 

それは今から半年ほど前に

彼と買いに行ったものでした。

 

しかし私はプロポーズされたわけでもなく

ただ二人でなんとなく探し、特になんでもない日にそれを買いました。

 

不思議に思われるでしょうが、

私たちにとってそれはお守りだったのかもしれません。

 

いつかこの指輪贈る日が

いつかこの指輪を贈られる日が

 

私たちはたしかに、ふたり、同じ場所を夢見ておりました。

 

しかしその指輪が

日の目を見ることはありませんでした。

 

 

私の中の彼女への憎悪は消え去り

自分の体を呪う日々が続いています。

 

毎晩眠る前に目を閉じると

あの不気味な声が聞こえてきて

私を夜の闇へと追いやります。

 

この体は呪われています。

治った今も、こうして私の人生を蝕みつづける

黒く濁った、強い強い、呪いです。

 

私にはもう、生きる意味がわかりません。

 

治ってもなお、このように苛まれつづけるならば、どうして生きてゆこうか。

 

私の体が悪いのに。

私が普通だったら、こんな結末はまっていなかったというのに。

 

それなのに

 

あいされたかった。

 

えらばれたかった。

 

傲慢な私が、泣き止んでくれないのです。

 

どうして生きてきてしまったのか

どうして人を信じてしまったのか

自分などが、人に愛してもらおうなんて

受け止めてもらおうなんて

とても贅沢な話でした。

 

 

彼の母親は、私達が同棲をリタイアをしたのち

すぐに一軒の家を買いました。

彼のローンで、です。

 

「あんた、結婚する気があるなら、早く言いなさいよ。ちゃんと家買っておいて、嫁さん迎え入れなきゃ」

 

彼女のその嫁の言葉に

私が含まれていないのは言うまでもありませんでした。

 

彼は毎週、その新居の庭仕事にでかけます。

 

「今日は君の好きな雪柳を植えたよ」

「今日は金木犀、一緒にみようね」

「今日は牡丹、この前一緒に見たのが綺麗だったからさ」

 

そう嬉しそうに

彼は毎週毎週、花を植えます。

将来その家に来るだろう、私以外の

誰かの女性のために。

花を植えに、毎週でかけてゆくのでした。

 

なんだか江國香織さんの小説の一節のようだなと思いながら「いってらっしゃい」と

私は文字打つのでした。

 

 

ここまで読んでどうですか

ドン引きですよね。

 

ええ私もドン引きしてます。

 

そんな男早く捨ててしまえ?

ああ、やめてください、罵声はお控えください。

 

 

それでも私は、ずっと、彼との未来を待っていたのです。

幸せになれると、信じていたのです。

 

でも彼は、母親を裏切れませんでした。

彼の父親はすでに他界しており、

彼女にはもはや彼しかいなかったのです。

 

しかし彼が私を選んでくれないことは、

私にとって「母親の言っていることが正しい」と、突きつけられているようでした。

 

そんなことはないと、頭のどこかでは分かっていても、私は私の味方が欲しかった。

 

そんなことは絶対にないと

君は絶対に悪くないと

責める必要などどこにもないと

 

そう、強く言われたかった。

 

あいされたかった。

えらばれたかった。

 

たったひとり、味方でいて欲しかった。

 

私はもう、わからないのです。

このままこの体は、生きていていいものなのか、わからないのです。

 

誰かを不幸にするこの体は

これ以上必要なのか

もうなにも、わからないのです。

 

明後日、わたしは24歳になります。

また一つ生きてしまうことに

わたしは今、大きく迷っています。

 

 

私だけでは、ないと思うのです。

 

きっと私より、もっと若くして

1人で生きていく覚悟を決めた少女や少年も

この世界にはきっといて。

 

そしてまた少年少女がいるということは、

そのことを悟った親御様がいるということで。

 

彼、彼女たちがどのように生きてきたのか

私は知っておきたいと思いました。

 

誕生日を迎えるまで、

私はこの命としっかり向き合いたいです。

 

今日はこのへんで。

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