よこと病気と○○と

1人の人間として、ありのままをツラツラと。お布団と社会の間から

私と病気とばあちゃん

 

 

私がまだ中学生だった頃

私はおばあちゃんに大量の写真を送りつけたことがあった。

 

それは中学の修学旅行で

私はデジカメ(ただの一般家庭機)片手に

いろんなものを撮った

 

友達の写真でもないその写真のほとんどは、

しょうもないものばかりだった。

 

てんとう虫、シロツメクサ、雲

 

そんなものばかりを詰め合わせた写真を

大量に送った。

 

今思えばなぜあんなことをしたのかわからないただ写真を撮るとかがとにかく楽しくて

その楽しさを誰かと共有したかったのだと思う

 

そんなしょうもない紙切れの詰め合わせを受け取ったおばあちゃんは私に言った

 

「あんたがこういうことに目を向けられる子で何かを感じられる子でえかった」

 

小さな私には、その言葉は十分なほど

私の背中を押した

 

 

それから高校生の時

体を壊しながら受験に挑んだ時

私は辛くて岡山に帰った

 

帰り道、サヨナラの駅のホームで

おばあちゃんは私に言った

 

「小せえ体でよお頑張っとるなあ」

 

頑張ることが当たり前の世界で

褒められることなんて全然なくて

不意に向けられたその言葉に

私は涙が止まらなくなった

 

 

そして今回の帰省で

おばあちゃんは私に幾度と言った

「車に乗れんけえなあ」

 

 

うるさい

 

そう思った

 

 

言葉にはしなかったけれど

私の心は確実に痛みを帯びた

 

それでも、わかっていた。

 

それは嫌味や差別の言葉ではなかったこと

ただただ「寂しい」の裏返しであったこと

 

一緒に遊びにいけなくて寂しい

どこにも連れて言ってあげれなくて悲しい

 

全部全部、私を思って溢れた言葉だったこと

 

 

じいちゃんは、認知症が進んでいた

それでも私の名前を覚えていてくれた。

 

来たことも帰ったことも忘れちゃうから

私が帰った後も

じいちゃんは今頃ずっと言ってるはずだ

「瞳はもう、帰ったんけえ?」

 

それで私のために何度も悲しくなって

何度も涙を流すんだ

 

毎日のことを忘れないように

書き留められてるじいちゃんの日記には

私が来た日に

「今日から瞳もおるよ」と書かれていて

なぜか訳もなく泣きそうになった。

 

 

さよならの時

振り向かないと決めていたのに

振り返ってしまった

 

やはりそこにはまだ

小さくなったばあちゃんがいた

 

 

なあばあちゃん

私、何もうまくできないんよ

 

みんなみたいに生きれんし

電車さえ上手く乗れんのや

 

それでも

何度だって、会いにいくけえな

頑張ってら会いに行くけえな

 

だからどうか元気でおってよ

 

 

私の後ろ髪を引く全てのものたちよ

 

どうか彼女たちを、お守りください

 

 

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