よこと病気と○○と

1人の人間として、ありのままをツラツラと。お布団と社会の間から

 

なにもなくない

なにもなくないんだよ

 

私には立派な夢がある

 

助けたいんだろう

 

こんな私なら死ねばいい

生きていてもしかたない

消えちゃえばいい

私なんていらない

 

その声を隣で聞いてきたんだろう

自分もそう思う日々を過ごしてきたんだろう

 

死なない死なない死なない

生きろ、生きろ、生きろ

 

誰がなんと言おうと、君の誇りだろう

君にしかできないことだろう

 

夢中だけは君を裏切らない

 

私と病気とメンヘラってなに

 

いつものようにyoutube巡回をしていたら

某ユーチューバーさんが

「嘘つき、メンヘラ、本性を隠す女性」

というサムネとともに動画をあげていました。

 

(※今回書く内容はそのユーチューバーさんの是非を問うものでは一切ありません)

 

動画内では

解離性障害」と語る女性が

被害妄想をくりひろげる、と言ったものでした

 

解離性障害」とは...すごく簡単に言うと

強いトラウマやストレスから一時的に記憶が抜け落ちてしまい、その間に起こった事を覚えていないため生活に支障が起こってしまう障害です。

 

 

 

私それを見てね、

ずっと思ってた「メンヘラってなんぞや」を

考えてみたんです。

 

『メンヘラ』

2ちゃんねるで生まれたネットスラング用語で

現在は2つの意味があるみたいですね

 

メンタルヘルス(精神障害)を持った人たちの総称

②1の意味を飛び越え迷惑をかける人、関わるとめんどくさい人の総称、またはキャラクターとしてのコンテンツ

 

2018年、基本的に使われるのは②の意味だと思います。

 

私も立場的に滅多に使いませんが、

自分に対する自虐つっこみとして「メンヘラかよwwwww」みたいに軽く使ったりします

 

ただ上記使用例からも分かる通り、

基本は「よくない意味」として使われてるのかなと思います。

 

精神障害をもつ私は思います。

 

「こういう言葉があるから私たちの立場がもっと悪くなるんだ!!!!誤解され、理解されないのはこういう使い方をするせいだ!!」

って。

 

でも私ね、ここで意見を終わらせるのって

あまりにも傲慢だとも思うんです。

周りに「偽善かよ」「何様だよ」って言われてもおかしくないと思うんです。

 

大事なのは、

患ったものには、患ったもののマナーがあるということだと思うんです。

 

メンヘラの意味、①と②の意味の境界線はどこなのか、と考えた時それは

「他人が迷惑と感じるかどうか」

 

ただ迷惑をかけると一言で言っても

いろんな迷惑がありますよね。

人って常に誰かに迷惑をかけながら生きてるんです。

そこでじゃあなにが「かけられても受け止めてもらえる迷惑」になるのかなって考えた時

 

「一定のマナーを当事者がもっていること」

だと思うんです。

 

昔、私は②の意味でメンヘラでした。

それは私がまだ病気を隠してた頃の話です。

 

ドタキャンや体調不良、嘘を重ねて生き延びていたあの頃、

私はたくさんの罵倒を浴びせられていました。

 

そしてそれに対し

「ごめんなさい」

「本当はそんなんじゃないのに」という

罪悪感と悔しさの感情を感じていました。

 

今思えば、自分で自分の病気が理解できず、

混乱していた頃が、一番人に嫌な迷惑をかけ、傷つき、メンヘラだったと思います。

 

だけど症状が落ち着いて、すこしずつ自分を客観的にみて受け入れられた今

「他人への迷惑のかけ方」つまり「当事者なりのマナー」を身につけれたことで

周りとの関係が良好になり、あの頃のような罵声を浴びせられなくなったのかなと思います。

 

 

私が大きく大切にしているマナーの1つ

それは

「お前になにがわかるんだ」

という言葉を絶対使わないということです。

 

気持ちはすっごくわかります。

結局のところ本当のつらさって当事者にしかわからないから。でもそれを踏まえた上で

私たちは次に進まなければいけないんです。

 

言われた側からしたら

「そんなのわかってる!でもだから!こうしてわかりたいと思ってる!わかろうとしてる!

それなのに、そんな風に言わないで」

そんなようなとてもやるせない気持ちになり

迷惑を嫌な迷惑として受け取ってしまい

最終的に「もうお前に付き合うのは疲れた」

と感じさせてしまいます。

 

 

ただ私は

当事者には当事者のマナーがあって、

周りの人には周りの人のマナーがある

そこは必ず相互的でなければいけないと思ってもいます。

 

だから例えば病を持った当事者が、

周りの人から「なにもしてあげられなくてごめん」と言われた時

当事者は「そんなことない。いつも本当に助けられてるよ」と思えること。

心からそう思える人は多いと思いますが、

すごい現実的なことをいうと「変わってよ」って周りに言いたい時もあります。

でも、「いつも助けられてるよ、ありがとう」と言えるようにこころがけること。

 

これに対して周りの人は

「自分がしてあげられる一番現実的なことって、悲しいけど、結局金銭的援助なんだ」と

受け止めることが、マナーというより、

一番受け止めてる形なのかなと、思います。

 

もちろん心配してかけてくれる電話も

作ってくれるご飯も

存在そのものさえも当事者からしたら

大きな大きな、本当に大きな支えです。

これは間違いのない真実です。

 

でも、それって目に見えないところへの援助なんですよね。だから、当事者も、周りの人も、いくら熱量を注いだところで

それが当事者にとってよく働いてるのかわからないんです。

 

だから、「なにもしてあげられなくてごめん」なんて悲しい言葉が生まれてしまう。

 

一番よくないのは、

それによって周りの人が

「私にはなにもできない」と無力化してしまうこと、又は

「存在が支えだよ」という言葉を鵜呑みにし、

おごってしまうこと。

 

だから私は自分が当事者になっても、

周りの人になっても、思うようにしています。

 

当事者は

「いつも助けられてる、ありがとう」と。

周りの人は

『本当にしてあげられることは金銭的援助だ』と。

 

絶対にだめなのは相互の交換。

当事者が「お前にできることは金銭的援助だけだ」と周りへ言うこと、

周りが「いつも助けてやってるだろ」と言うこと。

 

 

マナーというとすこし違和感がありますが、

私はこうして病持ちには病持ちのマナーがあって、それを大切にする事が、

他人への迷惑の負担をぐっと軽くすると思っています。

 

長くなってしまったけれど、

最後まで読んでくださった人がいたらありがとうございました。

 

今日はこのへんで

 

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phopo by takayanagi

 

私と病気と終わらせたい今日

1番不甲斐ないのは

解放された途端に、症状が和らぐことだ

 

迷惑をかけたあとのリカバーの仕方がわからない

何をどう言っても言い訳にしか聞こえない。

 

病気はどこまで隠し、

どこから開示するのか

職場には伝えた方がもちろん働きやすくなる。でも彼女たちのうちの何人が理解を示してくれるのだろうか

 

社会にはどこまで迷惑をかけていいのだろうか

迷惑をかけるくらいなら家にいればいい家にいるとの害ならばいっそ消えてしまえばいい

迷惑なんて、かける方もかけられる方も辛いだけだ

 

ただひとつ

睡眠が安定してなくて体調が悪かっただけ

 

それだけと思えればいいのに

それだけと思えない

 

2日連続で大きな発作が起きた

 

この先、乗り越えなければいけないものはたくさんあるのに。

もしその時も同じようになったら

私はまた何かを諦めなければいけない、

失わなければいけない。

 

本当に怖いのは

自分の体が自分の意思と関係なく動くあの感覚

 

そして少しずつかけて取り戻してきたものが、またじわじわと、奪われていくあの感覚

 

もう少し生きたいと願った昨日は

確かにあったはずなのに

もう終わらせてしまいたいとまで思う今日だった

 

幸せなまま死んでいたい

辛い中死んでいくのは悲しすぎる

 

例えばこの苦しみと、一緒に闘ってくれるようなパートナーがいればどんなに救われるだろう。

 

しかしどんなに愛があれど

病は2人分の未来を残酷なほど平等に曇らせる。

そうして結局闘うのは、いつだって1人ぼっちだった。

 

ここまで生きながらえてきた自分を誇らしく思い、同時にとても、浅ましく思う。

なんて自分は図々しい人間なのだろう。

 

夢を見すぎていた。

院に進み、臨床心理士になりたいなどと、身の丈に合わないような輝かしすぎる夢だった。

 

みんな必死に生きてる

だらか死んではだめだ

などという人は、本当に何も知らない人だと私は思う。

 

必死に生きているからこそ

終わりを選ぶ権利があるのだ。

 

他人でもなく、病気でもなく、

私の終わりは私が決めたい。

 

 

夢も、愛も、失ってしまった時苦しいもの全てを、私から遠ざけたい。

奪われるくらいなら、自分から手放したい。何も、望みたくない。

 

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私と病気と白日

 

じりじりと、今日が奪われていく感覚

 

 

疲れ切った体と裏腹に

明日も頑張ろうという希望は絶望に

 

眠れないまま、朝が来る

 

布団に入って6時間が経つということ

 

君はあの青白い箱を知ってるか

 

朝のほんの少し手前

朝日でぼうっと不気味に照らし出される

白日の時を知ってるか

 

眠れずに腫らした赤い目で

掴めない宙を見つめ

てを伸ばしては白い布団は吸い込まれる

 

当たり前のことが

どうしてこんなにも私はできない

 

当たり前に仕事をして

当たり前に勉強をして

当たり前にご飯を食べて

 

どうして当たり前に寝て

朝起きて

今日を始められないのか

 

友達からの結婚報告は今日で6件目だ

 

幸せなのだろう

目もくらむような恋なのだろう

 

私は、寝ることさえままならないまま。

 

情けない。

惨めで、不甲斐ない。

 

 

じりじりと、今日が奪われていくようだ

 

新しい朝をくれ

新しい朝をくれ

 

ぴかぴかで真新しい

朝をはかせておくれ

 

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私と与えられた人と奪われた人

 

どうあがいてもこの世には

「与えられた者」と

「奪われた者」がいるようです。

 

 

与えられた者と考えて自分のことが浮かぶ人の方が少ないのかもしれないけれど

 

奪われた者には確かにわかる感覚があるようで

私は確かに「奪われた者」でした。

 

春は与えられたものの匂いが強く

街を歩いててなんとなく苦しくなるのは

そんな陽気な匂いのせいなのかもしれません。

 

あの春に「君には未来があるから」と

背中の裏に隠し続けた思いがありました。

人の未来を奪うことしかできない、そんな錆びた鉛のような自分が、許せなくて仕方なかったです。

 

 

「人として与えられるはずであろう

一定数の自由、それに伴う希望」

 

わたしが体感ではかっている

与えられた者が持ち合わせているものは

これなのでは無いかと思います。

 

与えられるべきものが少ない、または小さい

それに伴い生活、生命活動に限界が生じる

 

 

幾晩か前に

医療系バラエティをぼーっと見ていた彼が

「こう言うのって突然くるから怖いよね〜やだな〜」と言っているのを聞いて

 

私は「そうだね」と笑いながら

ああ、この人は与えられた人だと思いました。

 

桜が満開だった夜に夜桜を見ていた彼が

「自分裏も表もないんです」と笑っているのを聞いた時も

 

ああこの人は与えられた人間だと思いました。

 

「とてもじゃないけど、

この世の中生きていこうとしたら

そんなこと言ってられないよ。」

 

そういう率直な感想が、

2つの場面を通して私の中にありました。

 

病の再発なんて突然の繰り返しで

そんなのに怯えていてはなにもできない。

裏も表も作っていなきゃ、とても社会に順応なんてできない、取り繕っていけない。

 

与えられた人は

嫉ましくもあり、羨ましくもあります。

 

与えられた人には

私にはとてもできないようなことが本当にたくさんあって、きっとこれからも率先して社会を回していく人たちになるのでしょう。

 

それでもたぶん、奪われた人には奪われた人にしかできないことがあって。

それはきっと与えられた人に比べたら

地味で些細なのかもしれないけれど、

動かせる足があるのなら

生きたい場所が、やりたいことがあるのなら

きっと同じように、やり遂げられるはずなのだと。

 

神さまは奪うだけのようなことはしない。

必ず奪い、そして与えていくのだと

言っていた人がいたように。

 

体感でしかわからないけれど

私たちは「奪われた」という感覚を確かに

与えられています。

 

その感覚をくちゃくちゃに丸めて

ポッケに突っ込んで拳作って唾はきながら

歩いていくのもまた強さ

 

だけどたまに、不甲斐なくて、泣いてしまって立ち止まってしまった時

くちゃくちゃになったそれをそっと開いてみる

のも強さ。

 

ただひとつ、おおっぴらに掲げて

踏ん反り返って歩くような人にだけはならないように。

粛々と持ち合わせて生きていけますように。

 

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私と病気と自己紹介

 

私を知らない人と一緒にいるのが苦手だ

 

大学1年生の時は病気をひたすら隠し

私を知られないようにするのに一生懸命だった

 

それでもいつからか私は

私を隠すことをやめた。

 

私を知っている人だけで構築された世界は

とてつもなく柔らかく、

張り巡らされていた見下す目も、冷ややかな言葉もそこには一切なかった。

 

自分の持っているものを未知のものとせず

しっかり掴み、わかること

包み隠さず、恐れず、話すこと

 

そうした手順を踏むのに時間はかかったけれど

一度できてしまえば

世界はこんなにも美しくなった。

 

けれど小さかった私の世界は

私の体が快調に向かうにつれて

少しずつ、大きくなった

 

大きくなるにつれ、

私のことを知らない人が増えた

 

 

飲み会はきらいだ。

 

私のことを知らない人ばかりが集まら上に

自分の辛かった事を

平気で笑いながら話さなければいけない

 

退学しちゃったんですよ〜

蹴ってやりましたよ笑

病気しちゃって!

今は通信なんですよね!

 

何を笑ってるんだ私、と、胸の内でひそかに苦しくなる。

 

笑って、ないがしろにして話してしまっていいことじゃないだろう。

私にとってそれが、どれだけ大切で、譲れないことか、知っているだろう。

 

親族の不幸を笑って話すようなものだ。

 

 

「高校の時から、実はパニック障害を持っていたんです。

なんとか大学に進めたんですけど、

2年生が終わる時、大きく発症してしまって。

そかからはもう、本当に突然。

電車に乗れなくなって、大学にも行けなくなったり、

あまつさえコンビニにさえ行けなくなってしまって。

全ての当たり前が、奪われてしまって、

本当に苦しくて、ずっと、ただくらい、

布団の中で泣いていました。

 

半年休養して、復学してみたんですけど、

1ヶ月でだめになっちゃって。

退学届を、出しました。

泣きながら紙切れ一枚、学生部に持っていって

私の学生生活は、終わりました。

 

それでも私、捨てきれなくて

生きることを、諦めきれなくて。

去年、通信大学に編入しました。

学士を取得しようという目標ではいったんですけど、私、そこで夢を持てました。

臨床心理師になって、心に寄り添いながら一緒に戦う人になりたいです。

通信大は、孤独で、勉強も独学で大変だけれど

夢を叶えたいです。

 

何もできなかったあの頃に

見下してきたあいつらを、見返したいです。

 

奪われた人間にしかできないことを

やってのけたいです。

 

偏見や不自由は絶えないです。

毎日がサバイバルです。

 

それでも、道は大きく違ってしまったけれど

私はこの道を進みたいです。」

 

 

大勢の前で演説してやりたいくらいだ。

 

もう私には、よっ友も、飲み友もいらない。

理解できないような人間もいらない。

 

それでもいいよといってくれる人だけで十分だ。

 

「できないことをできるようになるだけが成長じゃないよ」と言ってくれた人がいる

 

私の頑張りを知り、認め、許してくれる人。

 

 

わがままだと言われるかもしれない。

でも、それでいいのだと思う。

 

どんな人とでもやっていけるようになることは

確かに尊いことかもしれない。

 

それでも偏見を向けられながら一方的に傷つき生きていくようでは、

あまりにせちがらいではないか。

 

自分を守れるのは自分しかいないから

支えるよなんて言ったって、残念ながら人は簡単に去っていくから。

自分のことは、自分で守れるようにならなくちゃいけない。

 

暮らしやすい環境をつくること。

そのために一歩、勇気を振り絞ること。

自分を表現すること。

 

 

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私と病気と三年生終了

 

復学を決めて1年半

退学届を握りしめて1年

そして

通信大学へ願書を出して1年

 

本日ようやく

通信制1年目が、終了しました。

 

世間のレールに沿って

小学校から高校へ進学する中で

私はそこになんの疑問も、責任も、

持っていませんでした。

 

通信大学へ行く決意は

自ら世間のレールを離れる決意。

そこにはたくさんの心配からくる批判も

負け組や残念な子というレッテルも

見たくないものがたくさんありました。

 

その視線で

初対面の人や友達との会話では

言葉を濁すことも何度もありました。

 

それでも

ここで負けることは、病に負けることを意味するように思えて。

私はひたすら一生懸命に机に向かいました。

 

普通の大学とは比べものにならないくらい

教科書の量を読み、

何万文字のノートをとりました。

 

もう誰にも、文句なんて言わせない。

心配なんて、させたくなかった。

 

復学を決めたものの

たったの1ヶ月で通えなくなった三年生。

屋上で一人肩をすくめて泣いていた

とてもとても弱い私は

ずっと心の中でまだかまりとして残っていました。

 

母は退学届を出しに行く日

玄関で私の背中をさすりました。

いつでも帰ってきていいと、背中を優しく

撫でました。

 

嬉しかったけど、悔しかった、本当に。

 

心配や同情の言葉なんかより
言って欲しかった。
あなたなら大丈夫よ、と
信じて欲しかった。

 

でも、ほら、見てよ。

私にもできたでしょう?

 

自分で決めたことを、自分の力で

やり遂げる力が、私にもちゃんとあったの

 

 

 

 

「適応」とは、誰が決めることでしょうか。

 

通えない学校に、通えるようになることだけが

適応なのでしょうか。

 

社会に出た父親からみれば

寝坊も、不登校も、一人が楽なことも

そんなんでは社会に適応できないと焦り

 

頭の中にできない部下の姿を思い浮かべては

そんな大人になって欲しくはないと

それぞれの正しい「適応」をおしつけようとする。

 

それは親だけでなく、教師が、そして世間そのものが。

私たちに無意識に押し付けてくるものです。

 

 

子どもだからと、委ねすぎるなよ。

子どもだからと、あまりなめていないでよ。 

 

こんな体にも、魅力に感じてよ。

 

弱いふりして弱いものにはできないこと

しちゃうつもりなんだから。

 

私は私の意思で

自分の行く道を決めるよ

 

 

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