よこと病気と○○と

1人の人間として、ありのままをツラツラと。お布団と社会の間から

私と病気とメディア

 

バイト先でぼーっとテレビを眺めてたら

「奇跡の回復特集!!」

という番組が流れ始めた

 

認知症を発症して

寝たきり生活から回復したAさん!

その快復術とは?!

 

その番組はそんな風に4人の症例を取り上げていた

 

仕事をしつつなんとなく音だけ聞いていたら

ある言葉が耳に触る

 

うつ病になったBさん

10年でここまで快復した、その奇跡の回復術は?!」

 

ふと画面を見ると

そこには10年前と現在のBさんの写真が

比較表示されていた

 

10年前のBさんはとても虚ろな目をしていて

現在のBさんは爽やかなスーツ姿でオフィスの椅子に座っていた

 

番組はゲストのコメントにうつる

すごい!

こんな回復するなんて!

 

私はそこで注文を取りに行かなくてはならなくなり、

テレビから目を逸らした

 

 

 

「10年、だぞ」

 

心の中で、私は静かに読み上げる

 

 

注文を取り終わりオーダーを通すと

テレビでは話は快復術に移っていた

「Bさんの秘訣、それは納豆だった!!!!」

 

番組はゲストのコメントに移る

「すご〜〜い!!」

口元を押さえ驚く美しい女性

「えー納豆があ??」

目を見開き前のめりになる老いた女性

 

その光景が、私には不思議でしかたなかった

 

 

「ちょっと待てよ、お前ら、10年だぞ?」

 

 

その番組は始まりから終わりまで

一度も彼の10年の空白に触れることはなかった

 

 

10年

 

その長い歳月

Bさんはどんな日々を過ごしていた

どんな苦痛を乗り越えた

何度、死のうと思った

 

そんな事には、一度も触れられない

 

 

「ああ、そうか。」

 

そこでこの不思議さに気いた

 

 

 

この番組はBさんのための番組じゃないのだ

 

うつ病を関係者に持つ者のための番組だ

 

 

いずれ治ります

こんなに快復します

ちゃんと良くなります

 

うつ病の方の親族や恋人、友人に

そんな希望を与えるための番組だ

 

 

確かに、大事なことだ

 

前にも記事で触れたけれど

病気を持つ子供の親はきっと私たちと同じくらい悩み、苦しんでいる

私と病気の子供とその親 - よこと病気と○○と

 

だからそんな人々を少しでも救うきっかけになるのかもしれない

 

 

 

だけど、

大事なところに目をそらしたままでは、

意味がないんだよ

 

大事なのは

その10年の空白に

いったいどんなことが起こって

Bさんはその時どんな気持ちで

そして親族がそれに対してどんな風に接したか

 

そこを知ることが、なにより大事なのに

 

 

そしてこういう番組が

病に軽いものという認識を与えてしまったりする

 

「治るもの」だと、間違った認識を与える

 

 

本当は、「一生付き合っていくもの」なのに。

 

 

いくら病は完治しても

それはステータスとしてずっと残り続ける。

 

 

遺伝子的に残ってしまうもの

いつ再発するかわからないもの

体にできてしまった傷

貼り付けたれた負け組のレッテル

 

 

本当はそうやってずっと

一緒にいなきゃいけないものばかりなんだ

 

 

学校で教育心理学を学んでいた時も

同じようなことがあった。

 

先生がいくつか障害を説明する際に

投薬による治療で治すことが可能である

という説明をした。

 

 

いつだってメディアや教育では

言葉不足が深刻だ。

 

 

 

 

大学に復学した時

「元気だった?」と聞いたあの子に

「元気なわけないよ」と返した私

 

 

空白に、偽りを持たないこと

 

 

私たちがなによりも

大切にしなきゃいけないことじゃないかな

 

 

 

今日はこのへんで

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photo by noa