よこと病気と○○と

1人の人間として、ありのままをツラツラと。お布団と社会の間から

私と病気と結婚できない

 

私はずっと、彼の母親に嫌われていました。

 

理由は「障害もちだから」

 

始まりは昨年の夏のことでした。

ひどく暑い夏で、私はスクーリングのために

西東京にいました。

三鷹の駅は北と南にそれぞれ伸びていて

見知らぬ土地でひとり、

タバコの匂いがこびりついた安いホテルに宿泊しておりました。

 

学校も終え、これからホテルに戻るという道中

彼から一本の電話がありました。

 

「ごめん、一緒に住む予定の部屋、キャンセルさせてほしい」

 

私は一瞬何を言っているのかわかりませんでした。その時私たちは付き合って一年を迎え、それを機に一緒に住むことになっていたのです。

それは部屋も決まり、明日すべての書類が承諾される、ちょうどそういう日の前日のことでした。

 

私は泣きながら嫌だと言いました。

三鷹の高い駅からは山が見え、日が赤く赤く

沈んでゆきます。

しかし彼は無理だといいました。

「ごめん、母親が許してくれない」

 

彼女に初めて会ったのはその年の5月

私の23歳の誕生日の頃でした。

一緒にご飯でも行きませんかと誘い

初めて3人でご飯を食べました。

その時は特に何もなく、これからこの人たちと家族になるのかなと嬉しくも不思議に思っておりました。

 

そんな彼女が急に

本当に急に、私たちの同棲を止めました。

理由はもう、その時その時で言っていることが違かったので、本当のことはわかりません。

 

ただその時は電話越しに聞こえる彼の声が

三鷹と私たちの住む家が

やけに遠く感じました。

早く彼のいる家に帰りたかったことだけを

強く覚えています。

 

同棲をリタイアしてからこの1年間

私はずっとずっと、嫌われておりました。

 

彼女とはそれ以来、直接お会いしていません。

ただ彼と彼女が電話しているのを

遠くの椅子にすわり何度か聞いていました。

 

電波に乗せられた老いた女性の

その不気味な声が

受話器の向こうでヒステリックに叫んでおりました。

 

「あの子は普通じゃない」

「あの子はおかしい」

「恥を知れ」

 

どれも、私には遠い国の言葉に聞こえました。

 

どうしてだろうか。

どうして私はこんなにも、よく知りもしないこの女性に

ここまでの敵意を向けられているのだろうか。

 

はじめはそのように、どちらかというと

彼女への怒りの感情が強かったように思います。

 

しかし月日を重ねるごとに

私の心は確実にすり減ってゆきました。

 

遂には彼女の反対は

私たちが付き合っていることにまで及びました。

 

そして彼とは、明らかに喧嘩がふえました。

 

見たことも聞いたこともない形相で

怒る彼を初めて見た時は、

自分はとんでもないことをしてしまったと

すぐに泣き出しました。

彼はごめんごめんと謝っていたような気がします。

 

そんな風にして、なんとかなんでもないふりを

しつづけておりました。

 

そして今年の5月

どうせ来ないとは知っていましたが

再度彼女をご飯に誘いました。

 

御察しの通り「行きたくない」と

スパンと断られました。

ああ、そうですよねと思っておりましたが

ふいに「ぷつり。」と、なにかが途切れる音がいたしました。

 

そうです、私の心は遂に限界を迎えてしまったのです。

 

 

彼の家の壁には、

ウエディングジュエリーの小さな紙袋が

大事そうにかかっております。

深い青のリボンに純白の紙包み

 

中に入っているのは婚約指輪です。

 

それは今から半年ほど前に

彼と買いに行ったものでした。

 

しかし私はプロポーズされたわけでもなく

ただ二人でなんとなく探し、特になんでもない日にそれを買いました。

 

不思議に思われるでしょうが、

私たちにとってそれはお守りだったのかもしれません。

 

いつかこの指輪贈る日が

いつかこの指輪を贈られる日が

 

私たちはたしかに、ふたり、同じ場所を夢見ておりました。

 

しかしその指輪が

日の目を見ることはありませんでした。

 

 

私の中の彼女への憎悪は消え去り

自分の体を呪う日々が続いています。

 

毎晩眠る前に目を閉じると

あの不気味な声が聞こえてきて

私を夜の闇へと追いやります。

 

この体は呪われています。

治った今も、こうして私の人生を蝕みつづける

黒く濁った、強い強い、呪いです。

 

私にはもう、生きる意味がわかりません。

 

治ってもなお、このように苛まれつづけるならば、どうして生きてゆこうか。

 

私の体が悪いのに。

私が普通だったら、こんな結末はまっていなかったというのに。

 

それなのに

 

あいされたかった。

 

えらばれたかった。

 

傲慢な私が、泣き止んでくれないのです。

 

どうして生きてきてしまったのか

どうして人を信じてしまったのか

自分などが、人に愛してもらおうなんて

受け止めてもらおうなんて

とても贅沢な話でした。

 

 

彼の母親は、私達が同棲をリタイアをしたのち

すぐに一軒の家を買いました。

彼のローンで、です。

 

「あんた、結婚する気があるなら、早く言いなさいよ。ちゃんと家買っておいて、嫁さん迎え入れなきゃ」

 

彼女のその嫁の言葉に

私が含まれていないのは言うまでもありませんでした。

 

彼は毎週、その新居の庭仕事にでかけます。

 

「今日は君の好きな雪柳を植えたよ」

「今日は金木犀、一緒にみようね」

「今日は牡丹、この前一緒に見たのが綺麗だったからさ」

 

そう嬉しそうに

彼は毎週毎週、花を植えます。

将来その家に来るだろう、私以外の

誰かの女性のために。

花を植えに、毎週でかけてゆくのでした。

 

なんだか江國香織さんの小説の一節のようだなと思いながら「いってらっしゃい」と

私は文字打つのでした。

 

 

ここまで読んでどうですか

ドン引きですよね。

 

ええ私もドン引きしてます。

 

そんな男早く捨ててしまえ?

ああ、やめてください、罵声はお控えください。

 

 

それでも私は、ずっと、彼との未来を待っていたのです。

幸せになれると、信じていたのです。

 

でも彼は、母親を裏切れませんでした。

彼の父親はすでに他界しており、

彼女にはもはや彼しかいなかったのです。

 

しかし彼が私を選んでくれないことは、

私にとって「母親の言っていることが正しい」と、突きつけられているようでした。

 

そんなことはないと、頭のどこかでは分かっていても、私は私の味方が欲しかった。

 

そんなことは絶対にないと

君は絶対に悪くないと

責める必要などどこにもないと

 

そう、強く言われたかった。

 

あいされたかった。

えらばれたかった。

 

たったひとり、味方でいて欲しかった。

 

私はもう、わからないのです。

このままこの体は、生きていていいものなのか、わからないのです。

 

誰かを不幸にするこの体は

これ以上必要なのか

もうなにも、わからないのです。

 

明後日、わたしは24歳になります。

また一つ生きてしまうことに

わたしは今、大きく迷っています。

 

 

私だけでは、ないと思うのです。

 

きっと私より、もっと若くして

1人で生きていく覚悟を決めた少女や少年も

この世界にはきっといて。

 

そしてまた少年少女がいるということは、

そのことを悟った親御様がいるということで。

 

彼、彼女たちがどのように生きてきたのか

私は知っておきたいと思いました。

 

誕生日を迎えるまで、

私はこの命としっかり向き合いたいです。

 

今日はこのへんで。

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私と病気と死ぬ準備はできている

 

死ぬ準備が、できてしまった。

 

 

3月からインターンとしてゲーム業界で働き、

4月いっぱいで仮卒業となりました。

 

インターンとはいえ10-19時のフル出勤

そしてベンチャーだったのでやらせてもらえる

業務やタスクもそれなりのものでした。

 

ずっとずっと、憧れだった。

かわいいヒールの靴、それと

上品なスカートに白のシャツ。

トレンチコートにモカ色の鞄。

 

ゆうゆうとオフィスで働くことが、

昔から、私の夢でした。

 

そしてその夢は一度

もうどんなに手を伸ばしても届かないところにまで行ってしまったものだった。

 

それは私が一度手放した「普通」

 

学校に通うこと

働いてお金を稼ぐこと

社会に出ること

朝に起きて夜に眠ること

深く、呼吸をすること

 

生命の淵

死のちょうど隣側

 

いなくなってしまいたかった。

どうして生まれてきてしまったのかと、

毎朝泣き叫んだ。

 

あの時私は間違いなく暗闇の中にいて

いくら光は差し込めど、もう二度と

普通に戻れることはないと思っていました。

 

自分には生きる権利も

誰かを愛する権利も

何かを欲する権利も

何もないと、そう思っていました。

 

 

そんな私が、今、普通に戻れていること。

 

 

どうしよもないほど信じられなくて

それでも、いくら泣いてもひっくり返らない現実で

 

私はこんなにも、どうしよもないのに。

 

それなのにあの時救われたみたいに、

今は違う人たちがみんな

「よこちゃん、よこちゃん」と呼んでくれる

 

それがどうしよもなく、嬉しくて

 

この声に出会うために私は生きてきて

きっとこの先も生きていけるのだと思った。

 

そうやって愛おしく

私の名前を呼ぶ声があるところが、

わたしの居場所になった。

 

いつだってずっと、そうだった

 

正直22歳を迎えられると思っていなかったし、

迎えた時点で私にとっての最大な夢は叶っていた。

 

よく「夢はなんですか?」と聞かれるけれど、

叶えるだけが、成し遂げるだけが夢でしょうか。

 

わたしの夢は自分がもういいと思えるところまで生きることです。

 

そして、死を、他の誰でもなく、自分で選ぶことです。

 

生きることも

働くことも

愛することもできた私はもう

これ以上に悔やむことなどなく、

残すはただ、自分で死を選ぶだけになりました。

 

死ぬ準備はできている。

私は今、この上ない幸福の海の中にいる

 

私にはもう、何もない。

 

だからもう、何も怖くない。

 

これでやっと、胸を張って歩ける気がした

私は私にもうすこしだけ

近づいてゆけるだろう

 

 

私は

私はたくさんの命を見てきました。

たくさんの痛みを見てきました。

命の終わりは、あっけないです。

 

また明日、なんて、こないまま

 

あっけなく

壊れてしまった。

 

でもきっと、それでよかったんだと思います。

それが、彼が望んだ最後なのだから。

 

私は

人と、心と、命に関わる仕事がしたいです。

 

助けたいなど、傲慢な気持ちはなく。

 

切り裂くような痛みを

滴る微かな一滴を

余すことなくこの手で

 

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私と病気と自撮り

「お布団と社会の間から」

 

病を発症し、ベットの上でただひたすら二酸化炭素を生成する機械となった時にかがげた

スローガンが、それでした。

 

その時私は間違いなく

お布団側から、言葉を綴っていたように思います。

 

現在、無事就職活動を一旦終え

ゲーム業界に広報としてインターン中の私です。

確実に、「社会の側」にいる私です。

 

正直にいうと、

インターンに伴う体の不調はつきません笑

まず、胃腸に来ました。

先日は緊張で一睡もできない状態で

10-19時のロング出勤でした。

なんてカッコ悪い完徹自慢!笑

 

それでもなんとか、今

社会の側から、言葉を綴っています。

 

もしかしたらこのブログを始めてから

社会側から言葉を綴るのは初めてかもしれません。

 

今朝、久しぶりにオフィス用でないメイクをしました。

レンガのような赤色のマットのアイシャドウ

それに朽ちかけの薔薇のような色の口紅

 

そして久しぶりに、自撮りをしました。

 

自分に向けてシャッターを切ったのは

とても久しぶりでした。

 

撮った写真の中には

なりたかった大人の女性に近づいている

私がいました。

 

私は、自撮りは「向かい合う事」の一つのように思います。

心や体の調子と向き合うのと同じように、

自分の容姿と向き合う。

 

別にそこに映る私が

世間一般でいうような可愛いじゃなくてもいい

男性の容姿が写っていたって構わない。

 

自分が目指す、なりたい自分に近づけているか

 

そういう意味で容姿と向き合うために

自撮りはとても大切だと思います。

 

しかし、社会に出た私は

そんな習慣もすっかり忘れていました。

自撮りをしたのは本当に久しぶり。

 

よく、社会の皆さんは私に言います。

「疲れてるのかもね」

 

その影に隠れている本当の理由を

「疲れ」という便利な言葉で

ぐるりと覆い隠すのが得意です。

 

そうして社会は、向き合う事を私たちから奪います。

 

 

インターン先でよく、

打ち合わせ先の方や、同じインターンの方に

「しっかりしてるね」と言っていただける事か増えました。

 

誰がそんな私を育てたのだろうと考えた時

それは紛れもなく

全てときちんと向かい合い続けてきた

過去のお布団の私だったように思います。

 

普通に大学生をしていた時には

とてもしてこなかった「向かい合う」という経験を、私は病の中で

お布団の中でひたすらしていたのだと気付きました。

 

今もきっと、日本中、世界中のどこかで

お布団の中で必死に戦っている人たちが

たくさんいると思います。

 

あの頃の私のように、

涙などとうに枯れ果て

助けを求めたって誰にも届かない場所で

ひとり

つらく

もう

いっそ

そんな今を、過ごしている人が。

 

私はそんな人たちに

大丈夫!いつか私みたいになれるよ!

なんて、言うつもりは

これっぽっちもありません。

 

みんながみんな、同じように

進んでいけるとは限らないと思います。

 

実際に私だって、いつまたダメになるかわからないです。

夜もろくに眠れなくて、全然まともに社会人なんてやれそうにないです。

 

それでも、お布団の中で戦い続ける君へ。

 

冷たい誰かが言うでしょう。

「なにをしてるんだ」と。

そうして追い討ちのように言うでしょう。

「何にもしていないね」と。

 

そんな事、全っ然ないよ。

全然、ない。

 

君は今

自分という最大の相手に真っ向から向き合って

必死に戦っている。

それは普通の人にはできない事だ。

お布団という、逃げられることの許されない

小さなフィールド。

残機だってもう残り1。

そんな極限の中で君は、戦っている。

 

なにもしてなくなんてない。

 

流行りの歌がよく歌うでしょう

「最大の敵は自分」だと

 

そんなラスボス相手に

君はスウェット一枚の防具で挑み、

唯一与えられた武器は使い方もまだよくわからない病気なんていう名前をしている。

 

チュートリアルもろくになく

ポンっと投げ出されたその世界で。

 

なにもしてなくなんてないよ。

 

立派に戦ってる。

ボロボロになりながら、たくさんたくさん血を流しながら。

それでも「逃げる」の選択肢をえらばず

必死に食らいついている。

 

 

これがいつか

私がまたお布団側に戻ってしまった時

見返して、

負けないようにいられるおまじないになりますように。

 

今日はこのへんで。

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私と病気と就職活動

 

「就職活動」

就職活動(しゅうしょくかつどう)は、職業に就くための活動の総称。 略して、就活(しゅうかつ)とも呼ばれる。

                                               引用Wikipedia

 

 

院を諦めた私

まさか障害をもった自分がやることになるとは思ってもみなかったです。

就活、はじめちゃいました!

 

就活のスローガンを決めた

「NOスーツ、NOひっつめ髪」

 

思想に影響を受けたのは

就活狂想曲

アニメーション「就活狂想曲」 - YouTube

東京藝術大学大学院映像研究科

吉田まほ 2012年度作品

 

パンテーンのCM」

#1000人の就活生のホンネ 1000 Job Hunters' Real Voices 60秒 PANTENE(パンテーン)[TVCM] - YouTube

#1000人の就活生のホンネ

 

面白いので是非見てみてください。

 

就活を初めて約1ヶ月

10社ほど説明会に回りましたが

リクルートスーツを着たのは初めの一回だけ

(しかもそこもむしろ私服でよかった)

今のところ守れてますよ、

そうなんです、意外にいけるもんなんです笑

世の中は少しずつ、でも確実に、よくなっているなと感じました。

 

4大の就活と通信の就活の違い

バイト先の大学4年生の年下大先輩に

たくさんアドバイスをもらいました。

 

一番思ったのは「周りがいなくてよかった」ということです。

通信生の就活は孤独ですが、完全自己流でやれるのですごく楽です。

面接は週に2日まで、もちろん1日1社まで!

一方で先輩たちは周りと同時スタート。

その周りとの比較、競争感に一番苦しんだようでした。

 

 

障害が理由でデメリットになったこと

正直、死ぬほど悔しくて泣いた説明会もありました。

「障害」を理由に、他の新卒とは違う扱いをするところも1つだけですが、ありました。

しかもそこは障がい者の就労支援を事業に行なっているところでした。

すごく悔しくて、そしてショックでした。

帰り道は泣きながら、慣れないパンプスを引きずって帰りました。

 

それでも私が今のところの感想は

意外に中退も通信も、大きな支障にはならないということ。

 

「障害」に関しては、就活というよりも

自分との戦いになってくると思います。

「私に本当に社内で働けるのだろうか」

すごく不安で、そいつのせいでせっかく素敵な会社をみつけても揺らいでしまう。

そういうことはたくさんありました。

 

障害がメリットになったこと

一方で意外にも、就活で「障害」が有利に働くこともありました。

それは、自己分析がかなりできているということです。

それは障害を通して、自分とまっすぐ向き合って自分をよく理解して、味方になろうとし続けてきた経験があるからこそ。

面接で自分のことを話すのはとても簡単でした。

 

揺らぎ

ただ一つ注意するとすればそれは

「親しい人への相談」だと感じました。

特に、親御さんです。

親は子供を、愛しています。

だからこそ、心配も、期待もしてくれます。

しかし就活中の私たちにとって親の意見は

大きな波紋を心に生み出します。

「あれ、私、何がしたいんだっけ」って。

 

「NOスーツNOひっつめ髪」

それは私が私であるために必要なことでした。

でもなんだか、わからなくなってくるのです。

どこからが仮面の私で、

どこからが本当の私なのだろうか、と。

自分の境界線が、ぐにゃりと音を立てて

崩壊が起こります。

 

「就活仮面」

就活を始めて、少したった頃。

ちょうど私たちがビジネスメールの定型文を

学び始めたあたりから、

私たちは否応なく授かるものがあります。

それが「就活仮面」

 

上記アニメーションの中の描写であるような

紫色の主人公はちょうど、まさにそれです。

 

純粋な「なりたい私」

それだけで評価が落ちる社会ならいいけれど

そうでは無いのはやはり現実です。

 

だから私たちは

「世の中や会社が求める私」という

就活仮面を被り、売り込みにいく必要があります。

 

でもね、ずっと就活を続けているとわからなくなるのです。

「あれ、私ってなんだっけ?」って。

 

私は就活を始めた時、

「なりたい私」で挑むことを大切にしました。

だからNOスーツNOひっつめ髪を掲げました。

 

でもその仮面の存在は

面接が上手くいって、手応えを感じながらほくほく歩く帰り道にふと、降ってきたのです。

「認められたけど、さっき私、仮面を被ってた」って、気づくのです。

 

「仮面」は、たいせつです。

自分を強くするために、必要な武器です。

ただ、諸刃の刃であることを私たちは

忘れることなく被り続けていないと

見えていたものまで見えなくなる

誓い合ったはずのことさえ、忘れてしまう

 

だけど「仮面」を妬む必要もないのです。

今は少しだけ、大切な思い出も

置いていく必要があるのだと思います。

全てを背負ったままでは、あまりにもこの荒波は厳しすぎるから。

 

「わたしの夢を奪う、わたしになるな」

                                                       LUMINE

 

仮面を被り、

そしてそれに呑まれない強かな心を持つこと。

そしてなりたい私がそこに、ちゃんと混ぜ込まれていること。

この二つが、自分の輪郭を歪めないために

必要なことだと、

就活を一ヶ月続けた私は思います。

難しいですよね、でも、大丈夫です。

 

就活の形の多様化

私は就活生の中でもまだまだ異色な方です。

ただ、就活の形が

ファックスで履歴書を送っていた時代から

ネットでエントリーできるようになったように時代とともにその形が多様化きてきているのは

確かだと思います。

 

私は就活の全てをバイトルのような

アプリ一本で統括しています。

そして掲げた通りに、リクルートスーツを

全身に身にまとったことはまだ実質ゼロです。

 

中にはスーツを着ることのデメリットさえ生まれると私は感じました。

実質、というのには理由があって

1番最初の会社の説明会は右も左もわからず

とりあえずリクルート様式一式を身にまといました。

しかしそこで感じたのは「スーツは武装である」ということです。

 

それは私たちが仮面の上に鎧まで着てしまうようなイメージ。

そんな完全武装した状態でこられても、

相手も心がどこにあるかなんて、

どんなに優秀な採用担当だって見抜くのは非常に困難です。

 

机の距離は70センチくらいの幅だったはずなのに、私と面接官の心の距離ははるか彼方に感じました。

  

きっとほんの数年後には就活の形はもっともっと多様化していくと思います。

そしてそれがそれぞれに合った形で選択できるようになればいいと思います。

 

 

私たちが就活にぞっとするわけ

今の話の中でもやっぱり

就活って怖いな、、って思うことがたくさんあると思います。

 

でも多分それの根源って

「全ての人が一定のラインに並ばされること」

私たちが就活にぞっとするのは、まさにそこなのではないかと思います。

 

例えば就活メイクセミナーなんてものが

よく四大では開催されています。

あれ、ぞっとしますよね。

 

でも多分そのセミナーが

「貴方達ひとりひとりの個性を引き出すような色使いのメイクで、どんな企業を受けてどんなイメージを与えたいのかによって、

それぞれに適切なメイクを教えます」だったら

私たちはぞっとしないんじゃないでしょうか?

 

某化粧品店に私が就活用にリップを買いに行った時も、私は肌が青よりも黄色よりで、

さらに活発な印象を与えたかったので、

オレンジベージュの口紅を探していました。

しかしBAのお姉さんは「就活セオリーはうちではこの○○番のお色です!!!!」

と、当たり障りのないピンクベージュをゴリ押し。

実際にお姉さんにそのゴリ押し色を唇に乗せてもらった自分を鏡で見て、

私は心底がっかりしました。

まさに「没個性」

そして私は派手すぎず自分の探していた方の色を買って帰りました。笑

 

私は思います、どうか形にとらわれないで。

怖がらないで、と。

 

さいごに

就活は、自分との戦いです。

人との戦いではありません。

 

だから自分が1番やりやすいスタイルで

やればいいと思います。

周りと合わせる必要なんて1ミリもないです。

 

ただ中には、仮面を被らなければいけない事も

多々出てくる事があります。

それでもどうか、仮面に飲まれないで。

なりたい自分は大切に。

だけど少しだけ、

強くなるために、置いていけるものは置いていこう。

 

今日はこのへんで

 

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私と病気と捨てた夢

 

卒論履修試験に、落ちました。

 

 

私の夢は臨床心理士になることでした。

しかし臨床心理士になるためには、院に行く必要があり

通信大生が外部受験で院に受かるには、

大学のうちに卒論を書いておく必要がありました。

 

しかし通信大学は普通の大学と違い、

ゼミがないため、卒論を書くために試験を受けなければいけません。

「本当に研究したい者にだけ教授をする」

そのようなスタンスです。

 

そして私は、

その卒論をかくための履修試験に落ちました。


悔しいけど、ここまでです。

 


臨床心理士も公認心理士も

私が目指せるのは、もう、ここまで。

 


目指そうと思えば何年もかければ目指せます。

でも目指し始めた時、いつかはけじめをつけなければいけません。

それはとても大事なことだと思っています。

 

もちろんいつまでも、夢を追い続けることも

とても辛く、とても立派なことだと思います。

 

夢を追い続けること、見切りをつけること

どちらも正しくて、どちらも間違っていると思います。

 

その中で私は

「私には夢があります」そう言えることを、

自分らしくいられることを大事にしたかった。

 

私はこの道を選んだ時、何年かかるという計算をした上で、「一度どこかで落ちることがあれば、そこでちゃんと見切りをつけよう」

そういう誓いのもと、この道を全力で歩んできました。

それは他にも叶えたい夢があったからです。

 

私は、大人になるためにこの道を捨てたのではありません。

私は、次の夢を叶えるためにこの道をおわらせました。

私にはまだ、叶えたい夢がたくさんあります。

だからいつまでも、守り続けるわけにはいかないんです。

 

それでも正直に言えば

やっぱり悔しい気持ちはやまないよ。

 

だってたくさん勉強してきたの。

予備校に行くため院に行くため

必死で働き、必死で節約し、必死で貯金をした。たくさんのことを、犠牲にしてきたよ。

 

そして「繋がってるかもわからない、そのか細い一本の可能性の糸を、信じて離さなかった。」

その勇敢さを、今、私は心から讃えたいです。

 

 

通信大学には、たくさんのメリットがあります。

でも優遇は、一般大学の方が明らかに高く、

レールの上はなんだかんだ安全です。

通信大学は狭き門です。

卒業率は20%をきるところも多く

卒論を履修することさえ普通にはさせてくれません。

 

でも私はこのような現実を

あの時大学中退を余儀なくさせられた

病のせいでもなく、

優遇の少ない通信大学のせいでもなく、
私の圧倒的力不足だと痛感しています。

 


あの頃と比べて、成長したでしょうか。

退学をし、もう何もかも無くなったと嘆き、

全てを病のせいにしたあの頃から。


今はもう、病のせいにすることは

私の心の中のどこにもありません。

 

普通じゃないことは丸裸だった時の私が持った、唯一の武器で
この病は今も私の大切な誇りで、魅力です。

 


悔しさはやみません。

それでも無駄なことは1つもなかったと心から思えるし、まだまだ道は続いていくと思えます。

 


まだ、終わってない。

まだ、負けてないよ。

 

 

何もなくしてない。

だって夢は1つじゃないから。

 

あのね私は、働きたいです。

病気になる前からずっと思っていた。

会社で力を試したい。

バイトも楽しい、だけどもっと企業に関わっていたい。

 

この夢も一回は病気で諦めた夢でした。

でも、通信大学に入って、院を目指す

モラトリアム期間の中で、私の病気は幸いにも働ける程度にまで寛解しました。

 

無駄じゃなかったんだよ。

 

人が自信をつけるのに必要なのは成功体験です。

でも大事なのは失敗体験を、成功体験に負けないくらいの自信に変える力。

私にはきっとそれがあると信じています。


自己否定感にのまれず

私は私の可能性、魅力を信じて疑わず

愛していきたいです。

 

今日はここまで。

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2016年の私

「私と病気と夢」

http://yoco-0531.hatenablog.jp/entry/2016/04/06/165106

 

「私と病気と2人だけ」←ちょっと口が悪いので閲覧注意です

http://yoco-0531.hatenablog.jp/entry/2016/01/13/163438

 

 

 

私と病気と一枚の受容

 

通信大学の夏期スクーリングに向かう

山手線、2番ホーム、8号車の優先席で

 

はじめて、ヘルプマークを見つけてもらい

席を譲ってもらいました。

 

立ち上がったのは50代ほどのスーツの男性

キャリーケースを持ち優先席の壁側、入り口付近に立っていた私に

ちょんちょん、と手さげカバン叩き

「どうぞ」と一言、笑顔とともに私に

席を譲ってくださいました。

 

本当に、思わず涙が出そうになった。

 

 

「たった1枚の受容」

 

ヘルプマークを身につけ、初めて思いやりを分けてもらった時、そう思いました。

 

私はこの一枚をつけているだけだから、

彼は私の何が悪いかなんて

何もわからないはずなのに、

さらに言えば、これが本当かどうかもわからないはずなのに。

 

この一枚を彼は無条件に信じ、受容し、

手助けを、思いやりをくれました。

 

たった一枚。

 

それでもその行為一つで、

 

まるで私のこと、病のこと、

そして今までの傷、未来への歩みさえ

「よくやったね」

「頑張れ」

そう、言ってくれてるようで。

 

病や障害と戦う人たちに、

他人ができることはとても少なく見える世界だけれど、

こんなにもそっと背中を押して、

生きることさえも肯定してくれているような、

そんな思いをさせてあげられる方法があって、

 

それは、たった一枚の受容でした。

 

人は人を救えないと言うけれど、

私は確実に、救われました。

 

スーツの彼、この言葉は届くかわからないけれど、嬉しかったです、本当に。

 

ありがとう。

 

 

それでもやっぱり、

私がヘルプマークをつけて乗車するのは

これで6回目くらいだったけれど、

今まではみんな見ても見ないふりや、

気づかない方が多かったのも事実です。

 

けして傲慢になるつもりはないけれど、

やっぱりもう少し浸透するのには時間が

かかるんだなあと思いました。

 

今日はこのへんで

 

 

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私と病気と敵意

 

人からの敵意というのを、

一直線に受けるということ。

 

昔、病がひどかった時も敵意を向けられたことはあったけれど、それでもそれは悪魔で他人で

どうでもいい人たちでした。

「私のことを嫌う人たちは私の世界にいらない人よ」

そう言い切り、私は前を向くことができました。

 

でもその敵意を向けてくる人が、

自分にとって血の繋がっている人や

自分にとって大切な人、

もしくは大切な人の大切な人だった時

 

私は同じようにその言葉を言えませんでした。

言ってしまえればどんなに楽だろう

切ってしまえればどんなに楽だろう

 

こころがひどく痛む日々が続いていて

そんな中で私が恐れるのは

新しい病を引き寄せること。そして

夢や勉強を断念することになること。

 

奪われてたまるものかと

必死に抗えば抗うほど、自分の首が絞まっていく

呼吸が浅いのを、実感しています。

 

怖いものから身を守り、

大切なものを抱きしめる。

 

幸せな呼吸がしたい。

お腹いっぱいに吸い込んで、それをそのまま味わいたい。

 

殻に閉じこもりたいわけでもない

 

戦いたいわけでもない 

 

ただ今このバランスを、崩されるのを恐れている。

 

どうにかなると、どうにでもなれと

思いたいのに思いきれない。

 

保守的な私。

 

私の中の私は抗うことをやめないというのに。

 

「言わせたい放題言わせておくな。おまえはいいやつだ。あいつに分からせてやろうよ。」

 

私の涙を知っている私が

必死に私を庇おうとしている。

なんて優しい私の心と脳

 

「人から奪う自己肯定感はどんな味がするんですか?」

 

そう、問いただしてやりたい。

詰め寄って、その首元を思いっきり引っ掴んで、大きな音を立てて壁にぶつけてやりたい。

 

つばを撒き散らして、なんども怒鳴りつけて

何度も壁にその白さを必死に隠している頭を

ぶつけてやりたい。

 

「こうなったのはおまえのせいだ」

ああ、今になって彼女がおまえに言っていたその言葉の意味がよくわかる。よくわかるよ。

 

こうなったのは全部、おまえのせいだよ。

 

 

ああ、、ああ、、なんて、醜い私

こんな私の気持ちをあの人が知ったら

きっと絶望される、軽蔑される。

 

また、敵意を返される。

 

敵意に返す敵意は

それを増幅し拡散させる、魔力がある。

 

私は、人の痛みを知っている。

人は人を殺せるのだ。

 

そういう賢い私が、

抗う私をずっと撫でている。

 

抗う私は知らぬうちにあちこちに傷ができている。無理に暴れたから傷だらけなのだ。

 

賢い私はずっと険しい表情で、抗う私を撫で続け、時折堪えきれず、涙をこぼす。

 

そんな2人をよそ目に

私は何もできないでいる。

 

抗うことも、諦めることも、許すことも

何もできず、ただ自分が壊れていくのを見つめている。

 

可愛い可愛い私の脳と心

何もしてあげられなくてごめんね。

それでもそこにいていいからね。

 

彼女たちを、私は否定しない。

 

しかしそのうちに、きっと壊れてしまうだろう

 

私はどうしたらいいのか分からないまま、

きっとこうして壊れていく。

 

ただ一つ、私が守れるのは

彼女たちを受け止め、愛することだけなのだ。

 

二つがバラバラにならないように

まとめて一つに統合することなのだ。

 

ゆっくりでいい

その過程を踏めばいい

苦しみは永遠じゃない

どうせ100年後にはみんな死んでるんだ

 

囚われないで

苦しみだけにとらわれないで

 

君の世界はもうとっくに、こんなにもひらけている。

 

君が努力して繋いできたたくさんの場所が、大切な人が、仲間がそこかしこにある。

 

大事なのは、君の生きる世界はここだけではないと知ることだ。

 

君は1日にいくつもの世界を行き来していて、

地獄みたいに苦しいのはその一角の世界だけだ。

 

いいかい。

その一角に騙されてはいけないよ。

 

そうすればその一角を失うことになってしまったとしても、君が君の他の世界を失うことは必ずないからね。

 

世界が残っているかぎり

私の中の私は壊れても必ずまた、修復できる。

 

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