よこと病気と○○と

1人の人間として、ありのままをツラツラと。お布団と社会の間から

私と病気と捨てた夢

 

卒論履修試験に、落ちました。

 

 

私の夢は臨床心理士になることでした。

しかし臨床心理士になるためには、院に行く必要があり

通信大生が外部受験で院に受かるには、

大学のうちに卒論を書いておく必要がありました。

 

しかし通信大学は普通の大学と違い、

ゼミがないため、卒論を書くために試験を受けなければいけません。

「本当に研究したい者にだけ教授をする」

そのようなスタンスです。

 

そして私は、

その卒論をかくための履修試験に落ちました。


悔しいけど、ここまでです。

 


臨床心理士も公認心理士も

私が目指せるのは、もう、ここまで。

 


目指そうと思えば何年もかければ目指せます。

でも目指し始めた時、いつかはけじめをつけなければいけません。

それはとても大事なことだと思っています。

 

もちろんいつまでも、夢を追い続けることも

とても辛く、とても立派なことだと思います。

 

夢を追い続けること、見切りをつけること

どちらも正しくて、どちらも間違っていると思います。

 

その中で私は

「私には夢があります」そう言えることを、

自分らしくいられることを大事にしたかった。

 

私はこの道を選んだ時、何年かかるという計算をした上で、「一度どこかで落ちることがあれば、そこでちゃんと見切りをつけよう」

そういう誓いのもと、この道を全力で歩んできました。

それは他にも叶えたい夢があったからです。

 

私は、大人になるためにこの道を捨てたのではありません。

私は、次の夢を叶えるためにこの道をおわらせました。

私にはまだ、叶えたい夢がたくさんあります。

だからいつまでも、守り続けるわけにはいかないんです。

 

それでも正直に言えば

やっぱり悔しい気持ちはやまないよ。

 

だってたくさん勉強してきたの。

予備校に行くため院に行くため

必死で働き、必死で節約し、必死で貯金をした。たくさんのことを、犠牲にしてきたよ。

 

そして「繋がってるかもわからない、そのか細い一本の可能性の糸を、信じて離さなかった。」

その勇敢さを、今、私は心から讃えたいです。

 

 

通信大学には、たくさんのメリットがあります。

でも優遇は、一般大学の方が明らかに高く、

レールの上はなんだかんだ安全です。

通信大学は狭き門です。

卒業率は20%をきるところも多く

卒論を履修することさえ普通にはさせてくれません。

 

でも私はこのような現実を

あの時大学中退を余儀なくさせられた

病のせいでもなく、

優遇の少ない通信大学のせいでもなく、
私の圧倒的力不足だと痛感しています。

 


あの頃と比べて、成長したでしょうか。

退学をし、もう何もかも無くなったと嘆き、

全てを病のせいにしたあの頃から。


今はもう、病のせいにすることは

私の心の中のどこにもありません。

 

普通じゃないことは丸裸だった時の私が持った、唯一の武器で
この病は今も私の大切な誇りで、魅力です。

 


悔しさはやみません。

それでも無駄なことは1つもなかったと心から思えるし、まだまだ道は続いていくと思えます。

 


まだ、終わってない。

まだ、負けてないよ。

 

 

何もなくしてない。

だって夢は1つじゃないから。

 

あのね私は、働きたいです。

病気になる前からずっと思っていた。

会社で力を試したい。

バイトも楽しい、だけどもっと企業に関わっていたい。

 

この夢も一回は病気で諦めた夢でした。

でも、通信大学に入って、院を目指す

モラトリアム期間の中で、私の病気は幸いにも働ける程度にまで寛解しました。

 

無駄じゃなかったんだよ。

 

人が自信をつけるのに必要なのは成功体験です。

でも大事なのは失敗体験を、成功体験に負けないくらいの自信に変える力。

私にはきっとそれがあると信じています。


自己否定感にのまれず

私は私の可能性、魅力を信じて疑わず

愛していきたいです。

 

今日はここまで。

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2016年の私

「私と病気と夢」

http://yoco-0531.hatenablog.jp/entry/2016/04/06/165106

 

「私と病気と2人だけ」←ちょっと口が悪いので閲覧注意です

http://yoco-0531.hatenablog.jp/entry/2016/01/13/163438

 

 

 

私と病気と一枚の受容

 

通信大学の夏期スクーリングに向かう

山手線、2番ホーム、8号車の優先席で

 

はじめて、ヘルプマークを見つけてもらい

席を譲ってもらいました。

 

立ち上がったのは50代ほどのスーツの男性

キャリーケースを持ち優先席の壁側、入り口付近に立っていた私に

ちょんちょん、と手さげカバン叩き

「どうぞ」と一言、笑顔とともに私に

席を譲ってくださいました。

 

本当に、思わず涙が出そうになった。

 

 

「たった1枚の受容」

 

ヘルプマークを身につけ、初めて思いやりを分けてもらった時、そう思いました。

 

私はこの一枚をつけているだけだから、

彼は私の何が悪いかなんて

何もわからないはずなのに、

さらに言えば、これが本当かどうかもわからないはずなのに。

 

この一枚を彼は無条件に信じ、受容し、

手助けを、思いやりをくれました。

 

たった一枚。

 

それでもその行為一つで、

 

まるで私のこと、病のこと、

そして今までの傷、未来への歩みさえ

「よくやったね」

「頑張れ」

そう、言ってくれてるようで。

 

病や障害と戦う人たちに、

他人ができることはとても少なく見える世界だけれど、

こんなにもそっと背中を押して、

生きることさえも肯定してくれているような、

そんな思いをさせてあげられる方法があって、

 

それは、たった一枚の受容でした。

 

人は人を救えないと言うけれど、

私は確実に、救われました。

 

スーツの彼、この言葉は届くかわからないけれど、嬉しかったです、本当に。

 

ありがとう。

 

 

それでもやっぱり、

私がヘルプマークをつけて乗車するのは

これで6回目くらいだったけれど、

今まではみんな見ても見ないふりや、

気づかない方が多かったのも事実です。

 

けして傲慢になるつもりはないけれど、

やっぱりもう少し浸透するのには時間が

かかるんだなあと思いました。

 

今日はこのへんで

 

 

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私と病気と敵意

 

人からの敵意というのを、

一直線に受けるということ。

 

昔、病がひどかった時も敵意を向けられたことはあったけれど、それでもそれは悪魔で他人で

どうでもいい人たちでした。

「私のことを嫌う人たちは私の世界にいらない人よ」

そう言い切り、私は前を向くことができました。

 

でもその敵意を向けてくる人が、

自分にとって血の繋がっている人や

自分にとって大切な人、

もしくは大切な人の大切な人だった時

 

私は同じようにその言葉を言えませんでした。

言ってしまえればどんなに楽だろう

切ってしまえればどんなに楽だろう

 

こころがひどく痛む日々が続いていて

そんな中で私が恐れるのは

新しい病を引き寄せること。そして

夢や勉強を断念することになること。

 

奪われてたまるものかと

必死に抗えば抗うほど、自分の首が絞まっていく

呼吸が浅いのを、実感しています。

 

怖いものから身を守り、

大切なものを抱きしめる。

 

幸せな呼吸がしたい。

お腹いっぱいに吸い込んで、それをそのまま味わいたい。

 

殻に閉じこもりたいわけでもない

 

戦いたいわけでもない 

 

ただ今このバランスを、崩されるのを恐れている。

 

どうにかなると、どうにでもなれと

思いたいのに思いきれない。

 

保守的な私。

 

私の中の私は抗うことをやめないというのに。

 

「言わせたい放題言わせておくな。おまえはいいやつだ。あいつに分からせてやろうよ。」

 

私の涙を知っている私が

必死に私を庇おうとしている。

なんて優しい私の心と脳

 

「人から奪う自己肯定感はどんな味がするんですか?」

 

そう、問いただしてやりたい。

詰め寄って、その首元を思いっきり引っ掴んで、大きな音を立てて壁にぶつけてやりたい。

 

つばを撒き散らして、なんども怒鳴りつけて

何度も壁にその白さを必死に隠している頭を

ぶつけてやりたい。

 

「こうなったのはおまえのせいだ」

ああ、今になって彼女がおまえに言っていたその言葉の意味がよくわかる。よくわかるよ。

 

こうなったのは全部、おまえのせいだよ。

 

 

ああ、、ああ、、なんて、醜い私

こんな私の気持ちをあの人が知ったら

きっと絶望される、軽蔑される。

 

また、敵意を返される。

 

敵意に返す敵意は

それを増幅し拡散させる、魔力がある。

 

私は、人の痛みを知っている。

人は人を殺せるのだ。

 

そういう賢い私が、

抗う私をずっと撫でている。

 

抗う私は知らぬうちにあちこちに傷ができている。無理に暴れたから傷だらけなのだ。

 

賢い私はずっと険しい表情で、抗う私を撫で続け、時折堪えきれず、涙をこぼす。

 

そんな2人をよそ目に

私は何もできないでいる。

 

抗うことも、諦めることも、許すことも

何もできず、ただ自分が壊れていくのを見つめている。

 

可愛い可愛い私の脳と心

何もしてあげられなくてごめんね。

それでもそこにいていいからね。

 

彼女たちを、私は否定しない。

 

しかしそのうちに、きっと壊れてしまうだろう

 

私はどうしたらいいのか分からないまま、

きっとこうして壊れていく。

 

ただ一つ、私が守れるのは

彼女たちを受け止め、愛することだけなのだ。

 

二つがバラバラにならないように

まとめて一つに統合することなのだ。

 

ゆっくりでいい

その過程を踏めばいい

苦しみは永遠じゃない

どうせ100年後にはみんな死んでるんだ

 

囚われないで

苦しみだけにとらわれないで

 

君の世界はもうとっくに、こんなにもひらけている。

 

君が努力して繋いできたたくさんの場所が、大切な人が、仲間がそこかしこにある。

 

大事なのは、君の生きる世界はここだけではないと知ることだ。

 

君は1日にいくつもの世界を行き来していて、

地獄みたいに苦しいのはその一角の世界だけだ。

 

いいかい。

その一角に騙されてはいけないよ。

 

そうすればその一角を失うことになってしまったとしても、君が君の他の世界を失うことは必ずないからね。

 

世界が残っているかぎり

私の中の私は壊れても必ずまた、修復できる。

 

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私と病気とヘルプマーク

先週の土日、

初めて通信大のスクーリングに参加しました。

 

朝10時から夕方5時まで

遠く離れた西東京市

 

電車に乗れないことを恐れた私は

二泊三日を、一人で、見知らぬ土地で過ごしました。

 

帰ってきた私はしばらくの間

「もう行きたくない」とぎゃんぎゃん泣き喚き、次の土日スクーリングのホテルを取ることを諦めました。

 

母には「じゃあなに、来週はそれでいかないつもりなの」ときつい言葉をなげられ

私はただ一言「そんな風に言わなくてもいいじゃん」と涙声で応えました。

 

お母さん、私はそんな言葉より先に

頑張ったねって言って欲しかった

そしてあわよくば

行かなくてもいいよと言って欲しかったの。

 

そうは言ってもこんなところで

夢を諦められない私は最終手段にでました。

 

それがこれ

「ヘルプマーク」です。

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みなさん知ってますか、ヘルプマーク

知らなくてもこの色とマークからかなり

緊急性があることは通じるのではないかと思います。

 

基本的には

目に見えない障害がある人を

周りのみんながみつけやすくするためのマークって感じだと思います。

 

このヘルプマーク東京都発らしく、

まだ全国区じゃないらしいんです。

東京に住んでるからかわからないですが、

当たり前のことを過ぎてかなりびっくりしました。

 

私も今まで存在は知っていたけれど

怖くてつけようとも思わなかったです。

 

それをつけることは

やはりどうしたって自分が「健常者」ではないと認めることでした。

 

それでも、それを乗り越えてでも

今回ばかりは少しだけ

みんなの力を貸して欲しいと思ってしまったのです。

 

私は電車に乗れなくなり、普通の大学を諦め、中退の道を余儀なくされました。

 

それでもどうにが学位を取りたくて、

通信大に編入しましたが、そこでもやはり

すこしの通学がなければ学位がとれないのです。

 

だから

この日、この電車、一本だけ、

どうかすこしだけ、優しさを借して欲しかった。

すこしだけ優先的に、席に座わることを許して欲しかった。

 

私の症状はだいぶ落ち着いていますが

体調が悪い時や人ごみがすごい時はまだ電車にうまく乗れません。

ただその時席に座っていれば、かなり楽になれるのです。

 

そんな思いで私は今回

このマークをつけることに決めました。

 

 

ヘルプマークをつける意味は

人によってもかなり違うと思います。

 

裏面には一言かけるようになっているので、

倒れやすい人は連絡先や応急処置の仕方を

書いておくこともできますから、

命のお守りのような思いでつけている人もいます。

 

私のように目に見えない障害があって

すこしだけ力を貸して欲しいという願いで

つけてる人もいますし、

 

この日この電車だけと決めて

日中ずっとつけてるわけではない人も多いと思います。

 

また目に見える障害であっても

あえて率先してヘルプマークをつけることで、このマークの認知度を上げようとしてくださってる人もいます。

 

 

ただ1つ共通して言えることは

「労われよ、席を譲れよ」

そんな気持ちでつけてる人はいないということです。

そして、いてはいけないということです。

 

みんなたぶん、ほんの少しだけ

力を貸して欲しいんです。

 

そして私たちは絶対にこんなの事を言ってはいけません。

 

「このマークつけてるのに目の前で寝てる親父がいる、まじむかつく、健常者はいいよな、普通に働けて、私にはできないのにな、いいご身分だ」

 

気持ちは、痛いほどわかります。

それでも、私たちが心から望むのは

健常者と障害者が平等な世界なのに、

 

どうして「健常者様」に成り立たせるの

 

どうして「障がい者様」に成ろうとするの

 

それでは一生、平等になんてなれないじゃない。

 

 

「席を譲らなければいけない」なんていう

強制力なんてもたないで欲しい

 

人がみんな誰かの助け無しでは生きられないように、ほんの些細なものであって欲しい

 

ただただ小さな精一杯の、助けてでありたいです。

 

 

「あんなマークつけて、障がい者気取りですか、いいよねー、私もつけようかな、席座りたいし」

 

悲しすぎる偏見の目は尽きないと思います。

私もこのマークをつける事で

もしかしたら深く傷つくことがあるのかもしれないです。

それはひどく、

 

ひどく、怖いです。

 

それでも、胸を張らなければいけないのです。

それでも、相手を傷つけるようなことを仕返してはなにも始まらないのです。

 

 

障がいの重さや種類は、人それぞれです。

私は自分の障害は比較的軽度だと思っています。

だからこそ、つけるのにとても抵抗がありました。

 

でも他にも同じように思っている人は多いと思います。

「こんな程度の私がつけていいのか」と。

そして周りも思うのではないかと思います

「本当に障がいなの?ただのメンヘラじゃないの?」と。

 

でもそれでつける事を諦め、

1人で戦う人が増えてしまうのは

あまりにも、悲しすぎるから。

 

メンヘラだったとしても、

痛みを知ってる人は絶対に誰かを傷つけないから。

間違ってもふざけてマークをつけるなんてことは100ありえないことだから。

 

 

優先席は

優しさが先にくると書きます。

 

その主体は私たち当事者じゃなく、

周りの人達の優しさにあります。

 

どうか私たちの進む先に

周りの些細な優しさが先に溢れていれば

嬉しいなあと思います。

 

 

今日はこのへんで

 

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photo by noa

 

 

 

なにもなくない

なにもなくないんだよ

 

私には立派な夢がある

 

助けたいんだろう

 

こんな私なら死ねばいい

生きていてもしかたない

消えちゃえばいい

私なんていらない

 

その声を隣で聞いてきたんだろう

自分もそう思う日々を過ごしてきたんだろう

 

死なない死なない死なない

生きろ、生きろ、生きろ

 

誰がなんと言おうと、君の誇りだろう

君にしかできないことだろう

 

夢中だけは君を裏切らない

 

私と病気とメンヘラってなに

 

いつものようにyoutube巡回をしていたら

某ユーチューバーさんが

「嘘つき、メンヘラ、本性を隠す女性」

というサムネとともに動画をあげていました。

 

(※今回書く内容はそのユーチューバーさんの是非を問うものでは一切ありません)

 

動画内では

解離性障害」と語る女性が

被害妄想をくりひろげる、と言ったものでした

 

解離性障害」とは...すごく簡単に言うと

強いトラウマやストレスから一時的に記憶が抜け落ちてしまい、その間に起こった事を覚えていないため生活に支障が起こってしまう障害です。

 

 

 

私それを見てね、

ずっと思ってた「メンヘラってなんぞや」を

考えてみたんです。

 

『メンヘラ』

2ちゃんねるで生まれたネットスラング用語で

現在は2つの意味があるみたいですね

 

メンタルヘルス(精神障害)を持った人たちの総称

②1の意味を飛び越え迷惑をかける人、関わるとめんどくさい人の総称、またはキャラクターとしてのコンテンツ

 

2018年、基本的に使われるのは②の意味だと思います。

 

私も立場的に滅多に使いませんが、

自分に対する自虐つっこみとして「メンヘラかよwwwww」みたいに軽く使ったりします

 

ただ上記使用例からも分かる通り、

基本は「よくない意味」として使われてるのかなと思います。

 

精神障害をもつ私は思います。

 

「こういう言葉があるから私たちの立場がもっと悪くなるんだ!!!!誤解され、理解されないのはこういう使い方をするせいだ!!」

って。

 

でも私ね、ここで意見を終わらせるのって

あまりにも傲慢だとも思うんです。

周りに「偽善かよ」「何様だよ」って言われてもおかしくないと思うんです。

 

大事なのは、

患ったものには、患ったもののマナーがあるということだと思うんです。

 

メンヘラの意味、①と②の意味の境界線はどこなのか、と考えた時それは

「他人が迷惑と感じるかどうか」

 

ただ迷惑をかけると一言で言っても

いろんな迷惑がありますよね。

人って常に誰かに迷惑をかけながら生きてるんです。

そこでじゃあなにが「かけられても受け止めてもらえる迷惑」になるのかなって考えた時

 

「一定のマナーを当事者がもっていること」

だと思うんです。

 

昔、私は②の意味でメンヘラでした。

それは私がまだ病気を隠してた頃の話です。

 

ドタキャンや体調不良、嘘を重ねて生き延びていたあの頃、

私はたくさんの罵倒を浴びせられていました。

 

そしてそれに対し

「ごめんなさい」

「本当はそんなんじゃないのに」という

罪悪感と悔しさの感情を感じていました。

 

今思えば、自分で自分の病気が理解できず、

混乱していた頃が、一番人に嫌な迷惑をかけ、傷つき、メンヘラだったと思います。

 

だけど症状が落ち着いて、すこしずつ自分を客観的にみて受け入れられた今

「他人への迷惑のかけ方」つまり「当事者なりのマナー」を身につけれたことで

周りとの関係が良好になり、あの頃のような罵声を浴びせられなくなったのかなと思います。

 

 

私が大きく大切にしているマナーの1つ

それは

「お前になにがわかるんだ」

という言葉を絶対使わないということです。

 

気持ちはすっごくわかります。

結局のところ本当のつらさって当事者にしかわからないから。でもそれを踏まえた上で

私たちは次に進まなければいけないんです。

 

言われた側からしたら

「そんなのわかってる!でもだから!こうしてわかりたいと思ってる!わかろうとしてる!

それなのに、そんな風に言わないで」

そんなようなとてもやるせない気持ちになり

迷惑を嫌な迷惑として受け取ってしまい

最終的に「もうお前に付き合うのは疲れた」

と感じさせてしまいます。

 

 

ただ私は

当事者には当事者のマナーがあって、

周りの人には周りの人のマナーがある

そこは必ず相互的でなければいけないと思ってもいます。

 

だから例えば病を持った当事者が、

周りの人から「なにもしてあげられなくてごめん」と言われた時

当事者は「そんなことない。いつも本当に助けられてるよ」と思えること。

心からそう思える人は多いと思いますが、

すごい現実的なことをいうと「変わってよ」って周りに言いたい時もあります。

でも、「いつも助けられてるよ、ありがとう」と言えるようにこころがけること。

 

これに対して周りの人は

「自分がしてあげられる一番現実的なことって、悲しいけど、結局金銭的援助なんだ」と

受け止めることが、マナーというより、

一番受け止めてる形なのかなと、思います。

 

もちろん心配してかけてくれる電話も

作ってくれるご飯も

存在そのものさえも当事者からしたら

大きな大きな、本当に大きな支えです。

これは間違いのない真実です。

 

でも、それって目に見えないところへの援助なんですよね。だから、当事者も、周りの人も、いくら熱量を注いだところで

それが当事者にとってよく働いてるのかわからないんです。

 

だから、「なにもしてあげられなくてごめん」なんて悲しい言葉が生まれてしまう。

 

一番よくないのは、

それによって周りの人が

「私にはなにもできない」と無力化してしまうこと、又は

「存在が支えだよ」という言葉を鵜呑みにし、

おごってしまうこと。

 

だから私は自分が当事者になっても、

周りの人になっても、思うようにしています。

 

当事者は

「いつも助けられてる、ありがとう」と。

周りの人は

『本当にしてあげられることは金銭的援助だ』と。

 

絶対にだめなのは相互の交換。

当事者が「お前にできることは金銭的援助だけだ」と周りへ言うこと、

周りが「いつも助けてやってるだろ」と言うこと。

 

 

マナーというとすこし違和感がありますが、

私はこうして病持ちには病持ちのマナーがあって、それを大切にする事が、

他人への迷惑の負担をぐっと軽くすると思っています。

 

長くなってしまったけれど、

最後まで読んでくださった人がいたらありがとうございました。

 

今日はこのへんで

 

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phopo by takayanagi

 

私と病気と終わらせたい今日

1番不甲斐ないのは

解放された途端に、症状が和らぐことだ

 

迷惑をかけたあとのリカバーの仕方がわからない

何をどう言っても言い訳にしか聞こえない。

 

病気はどこまで隠し、

どこから開示するのか

職場には伝えた方がもちろん働きやすくなる。でも彼女たちのうちの何人が理解を示してくれるのだろうか

 

社会にはどこまで迷惑をかけていいのだろうか

迷惑をかけるくらいなら家にいればいい家にいるとの害ならばいっそ消えてしまえばいい

迷惑なんて、かける方もかけられる方も辛いだけだ

 

ただひとつ

睡眠が安定してなくて体調が悪かっただけ

 

それだけと思えればいいのに

それだけと思えない

 

2日連続で大きな発作が起きた

 

この先、乗り越えなければいけないものはたくさんあるのに。

もしその時も同じようになったら

私はまた何かを諦めなければいけない、

失わなければいけない。

 

本当に怖いのは

自分の体が自分の意思と関係なく動くあの感覚

 

そして少しずつかけて取り戻してきたものが、またじわじわと、奪われていくあの感覚

 

もう少し生きたいと願った昨日は

確かにあったはずなのに

もう終わらせてしまいたいとまで思う今日だった

 

幸せなまま死んでいたい

辛い中死んでいくのは悲しすぎる

 

例えばこの苦しみと、一緒に闘ってくれるようなパートナーがいればどんなに救われるだろう。

 

しかしどんなに愛があれど

病は2人分の未来を残酷なほど平等に曇らせる。

そうして結局闘うのは、いつだって1人ぼっちだった。

 

ここまで生きながらえてきた自分を誇らしく思い、同時にとても、浅ましく思う。

なんて自分は図々しい人間なのだろう。

 

夢を見すぎていた。

院に進み、臨床心理士になりたいなどと、身の丈に合わないような輝かしすぎる夢だった。

 

みんな必死に生きてる

だらか死んではだめだ

などという人は、本当に何も知らない人だと私は思う。

 

必死に生きているからこそ

終わりを選ぶ権利があるのだ。

 

他人でもなく、病気でもなく、

私の終わりは私が決めたい。

 

 

夢も、愛も、失ってしまった時苦しいもの全てを、私から遠ざけたい。

奪われるくらいなら、自分から手放したい。何も、望みたくない。

 

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